「わっ! 馬鹿、戻って来い!」
 

 うまく地面に着地すると同時に、ドラゴンの元へ走るチビドラゴンに叫ぶが、こちらも一切振り返らない。 
 

 チビドラゴンなど放っておいて、さっさと女の子を追いかけたいのが本心だが、チビドラゴンを抱えていないとバレれば、女の子に追いついた瞬間跡形も無く消し去られてしまうかも知れない。
 

 仕方なくチビドラゴンを追う。俺が追いつく頃には、もうドラゴンに到達しており、その傷ついた身体をチビドラゴンがチロチロと舐めていた。
 

 「ほら、早く逃げないと―――」
 

 「キュイ!」
 

 見ているだけで胸が痛む光景を止めさせようと手を伸ばすが、チビドラゴンは俺の手を尻尾でバシッと払い除ける。結構痛い。
 

 煙を吸いすぎたせいか、頭が妙にポーッとする。早くチビドラゴンを連れてここを離れたいが、このままじゃ、例えドラゴンが燃えようともチビドラゴンは動かないだろう。今俺がもっている薬が高級品とはいえ、死んだ者を蘇らす事までは出来ない。いや、どんな薬でも術でも、一度死んだものが生き返る事はなく、もしも生き返ったのなら、ソレはもう元のソレでは無い。全く別のモノだ。
 

 「キシャアアアアアア!」
 

 「!?」
 

 悩んでいるうちに、火で照らされるその真っ黒い全身が持つ、意外な光沢を明らかにし、ヤツがのそのそと戻ってきた。
 

 コイツには普通の炎でも効果があっただろうが、何処に身を潜めていたのか、ブラックガーゴイルは火傷一つ負っていなかった。
 

 女の子も居ない、チビドラゴンも言う事を聞かない、今はタイミングが悪すぎる。怯えながらも逃げ出さず、ドラゴンを庇うようにブラックガーゴイルの正面に立つチビドラゴン。この状態をどう打破するか、考える間もなくブラックガーゴイルはチビドラゴンに向けて跳んだ。
 

 「はやッ!?」
 

 さっき仕留めそこなった事で本気になったのか、先ほどより数倍も敏速な動きをするブラックガーゴイル。剣を抜き、チビドラゴンに直撃するギリギリで、なんとかブラックガーゴイルが振りかざした鋭い爪を防ぐと同時に、ガギンと金属同士がぶつかり合う音が脳にまで響いてくる。
 

 重い。大犬の攻撃とは違った重み。これは己が体重を加えた重みではなく、純粋な腕力による圧力。腕力だけで大犬以上の衝撃を出しているところ、やはり高級モンスターというべきか。もしも、俺の愛剣が名剣でなければ一撃でポッキリと逝っていただろう。
 

 「もう少し・・・・・・手加減・・・・・・して」
 

 「キシャアアアアアアアア!」
 

 ジリジリと押され、引きつった顔で惨めに頼み込んでみたが、ブラックガーゴイルには通じないようであった。高級モンスターの知能であれば、人間の言語を覚える事など容易いだろうが、覚えようと言う意思が無いようだ。
 

 この状態から押し返すのは難しい、ならば下がってチビドラゴンを回収して全力疾走を―――ビキッ。
 

 「はい?」
 

 嫌な音がした、敵方の武具からは何度も聞いたことがあるが、愛剣からは一度たりとも聞いたこと無い不快な音。
 

 見たくない。見たくないけど、見てやらなければいけない。
 

 冷や汗をだらだらとかきながらゆっくりと音のした方を向く。そこは丁度ブラックガーゴイルの爪と競り合っている部分。一瞬、あの音はブラックガーゴイルの爪から聞こえたんじゃないだろうかと言う甘い考えが過ったが、視界に映ったのは紛れも無く俺の愛剣が欠けている惨憺な姿だった。
 

 「じょ、冗談・・・・・・」
 

 目が熱い、きっと涙が溢れ出しそうなほど溜まっているだろう。
 

 命綱と言っても過言ではない愛剣。旅を始める前からずっと一緒だった愛剣。飯の時も風呂に入る時も寝る時もトイレだって一緒だった愛剣。それが、初めて傷ついた。ショックのあまりクラクラしてきた。
 

 これほどのショックを受けた事が無いので例えにくい。それでも例えるなら、恐らくそう、最愛の人物が自分を庇ってモンスターの攻撃を受け、死に瀕していると言った所だ。
 

 心身ともに自然と力が抜け落ちたその瞬間を見逃さず、俺の心情を知るはずも無いブラックガーゴイルが更に力を込める。押し倒されそうになるのをグッと堪え、こちらも反射的に力を込めてしまう。
 

 そうなると当然、愛剣にも負担がかかり―――ピキピキッ、更に欠けた部分から罅割れていった。
 

 「うわっ!? もうやめろ! 頼む、俺の負けでいいから!!」
 

 必死に戦闘の中断を訴える取り乱した俺を見て、ブラックガーゴイルはニヤリと笑ったような気がした。それは気のせいではないようで、どんどんブラックガーゴイルが力を込めてくる。
 

 剣を納めて退散したいのはやまやまだが、距離を取る隙がない。いや、例え隙が出来たとしても、数歩後ろに下がればチビドラゴンを踏んづけてしまう。うまくチビドラゴンを避けたとしても、その後ろにはドラゴンだ。逃げ場が無い。
 

 ―――ビキビキビキッ。
 

 愛剣に亀裂が入る。もう数十秒も持たないだろう。愛剣と共に俺の身体も真っ二つにされてしまうところ想像し、せめて死ぬ前に彼女の一人や二人や三人くらい作りたかったなと思ったその時、急に剣の重みが無くなった。
 

 ついに折れたのか、折れてしまったのか。そう思ったが、なんとか刀身は繋がっていた。変わりに目の前に居たはずのブラックガーゴイルが忽然と姿を消している。罠かもしれないと、辺りを見渡そうとした瞬間、遠くから飛んできた巨大な火炎球が目の前を横切る。
 

 「おわっつ!?」
 

 おわ、熱い。たぶんそう言おうとしたのだと思う。自分でもよくわからないセリフを吐きながら尻餅をつく。
 

 直接は炎に触れたわけでは無いが、それでも巨大な炎の塊から生まれる熱風は大したものだった。あと数ミリずれていただけでも鼻の頭を火傷していたかもしれない。
 

 炎の塊が飛んできたほうを見ると、女の子がこちらに向かって走っている姿があった。てっきり見捨てられたものだと思っていたのだが・・・・・・やはり意外と人情が残っているのかもしれない。
 

 「役立たず」
 

 展開的に、このまま俺の胸に飛び込んできて『大丈夫だった?』と上目遣いで見てくる事を期待していたのだが、考えてみればこんな知り合ったばかりで人情の欠片しかない女の子が、そんな可愛らしい事をするわけがなく、火の海の中でも凍りつける視線と言葉が俺を撃った。
 

 「し、仕方ないだろ、コイツが・・・・・・」
 

 剣を納めながらチビドラゴンに視線をやる。それでも、女の子の視線は『人の所為にするな』と冷ややかなものだった。事実なのに・・・・・・。
 

 「モンスターは?」
 

 視界に剣の亀裂しか入っておらず、ブラックガーゴイルの行動など見ていなかったためアイツが何処にどうやって姿を眩ませたのか知る由も無かった俺は、どうせ答えてくれないんだろうなと思いながらも女の子に聞いてみる。すると女の子は無言で空に視線を向けた、やっぱり口は聞いてくれなかったが、質問の答えはもらえた。どうやら飛んで行ったらしい。
 

 周囲に殺気を感じず、女の子が来てくれたと言う安心感からすっかり気が抜けている俺だが、女の子はまだまだ安心できないと言った様に辺りを見渡している。そして、その予測は当たり、ブラックガーゴイルが空中から落ちるように突進してきた。
 

 剣を抜いて構えなおしても攻撃を受けた瞬間ポッキリ逝く事は目に見えていたため、ブラックガーゴイルは女の子に任せ、俺はチビドラゴンを抱え上げ後ろに下がる。
 

 動物の扱いは慣れているといったが、流石にドラゴンの世話なんてしたことは無い。でも、四足と言う事は犬や猫と変わらず、捕まえる事さえ出来れば引っ掻かれない抱き方なんてお手の物だ。
 

 「こ、こら、暴れるなっ」
 

 「キュイ! キュウ!」
 

 とはいえ、隙を見せれば首に食いついてきそうなほど暴れるチビドラゴンを押さえ込み続けるのは中々の体力と気力が必要である。
 

 俺がチビドラゴンと格闘している間に女の子は呪文の詠唱を完了したらしく、杖を縦に振った。すると、周囲の風が向きを変え、目視出来ない大きなナニかがブラックガーゴイルに向かって高速で飛んでいった。
 

 恐らくアレは風の呪文、見えない刃の類だ。魔術に興味が無いので呪文名までは覚えていなかったが、人間の目には映らない脅威の攻撃呪文であると言う事で知識だけは持っていた。
 

 「ギヒャッ!?」
 

 俺の推測は当たったらしく、急速落下していたブラックガーゴイルが空中で見えない壁にぶつかったように弾んだ。大きなダメージを与えたはずなのに、それでも女の子の顔色は冴えなかった。女の子が思っていたよりはダメージが小さかったようだ。
 

 空中で体勢を立て直したブラックガーゴイルはもう一度女の子に向かって襲い掛かる。だが、今度はジグザグに動いているため、簡単には魔法を当てられない。
 

 更に、女の子は体調が悪いのか何故かふらついている。俺も先ほどからやたらと目眩がし、激しい頭痛に悩まされている。先ほどまで元気満タンだったチビドラゴンも何故か今は大人しい。というよりは、活力がなくなってきていると言った方が正しい。やはり女の子にもこの症状が出ているのだろうか?
 

 そういえば、大犬がまだ現れない。あの業火を浴びて平気だったのだ、こんなちんけな山火事などモロともしないはずなのに。それでも大犬が襲ってこない理由、あるとすれば、先ほど山火事を発生させた時から鼻を突くこの嫌な臭いだ。
 

 俺達は長時間道に迷った。同じ場所をグルグルと回ったかもしれないし、ジグザグに動いていたかもしれない。それでも大犬が俺達を見つけ出せたのは、恐らく犬特有の良く利く鼻のおかげだ。そして、女の子はそれを見抜き、この辺りにある何か有害の植物を燃やし、その臭いや効果で鼻を潰したのだろう。今頃悶え苦しんでいるのかもしれない。大犬にトドメを刺さず、その場をすぐに離れようとしたのは、人間にも有害なガスを発する植物を燃やしたからじゃないだろうか。実際、教会とは違い深く煙に捲かれる心配の無い野外で、煙のせいでこんなに身体が重くなるとは思えない。
 

 何発も巨大な炎の塊や氷の矢を打ち出した女の子だが、そのどれもがスレスレでかわされる。威力は風の刃よりあるようだが、スピードで劣っているようだ。
 

 「・・・・・・ッ」
 

 最初は遥か上空にいたブラックガーゴイルも既に目と鼻の先、女の子にも焦りが見える。切羽詰ってきたようだ。
 

 俺もこれはまずいと、何か武器になるものを探す。こんな荒れ果てた森にあるものと言えば朽ちた木の枝くらいで、仕方なくその場にあった手ごろな棒を拾った。が、棒の先に生えていた枝や葉の重さで棒の中間辺りがボキリと折れる。今日は本当に不運が続く。
 

 「キシャアアアア!!」
 

 ブラックガーゴイルが残りの距離では魔法を発動する前に女の子に到達出来ると踏んだのか、ラストスパートをかけるように真っ直ぐ女の子に降下し、スピードを上げた。同時に、女の子が詠唱を開始する。
 

 間に合わなければ死が待っている状況での詠唱。もしも詠唱の方が早ければ、ブラックガーゴイルを倒すとまではいかなくともかなりのダメージを負わせる自信があるのだろう。だが、その考えは甘かった。
 

 「キシャアアアアア!!」
 

 牙を剥き、爪を振り上げ強襲してくるブラックガーゴイルのスピードが女の子の想像を遥かに超えていたから。女の子が今までに無いほど焦っているのが雰囲気で分かる、それでも女の子が詠唱を止めて逃げないのは何故だろう。
 

 単に逃げ切る自信が無いだけだろうか? いや、それは違う。狙いはチビドラゴンなのだから、逃げるだけならさっさと俺達を置いて走り去ればまだ何とかなるだろう。だが、女の子はこのチビドラゴンを守るために、この機会を逃すことなく身体を引き裂かれてでも詠唱を完成させ、ブラックガーゴイルにダメージを与えなくてはならない、そうしなけば倒すどころかチビドラゴンを連れて逃げ切る事も出来ないと考えているのだろう。
 

 もしかすると、もしかすると守護リストの中に俺の名前も入っているかもしれない。名前も教えていないし、その可能性は低いが、もしかするともしかするかもしれないのだ。そんな献身的な少女を見捨てられるのかと問われれば、俺は迷わず『うん』と言う。
 

 それは当然な事だろう? だって、俺はまだ若い。パーティーを組んでわいわい冒険したり、恋人を作っていちゃいちゃ青春したりと、多種多様な楽しみが俺を待っているのだ。まだ人生の半分も謳歌していないというのに、自分の命を他人に捧げてなるものか。
 

 確かに俺は諦めが早く、自分の命を割と粗末に扱ったりもする。だからといって自ら首に刃を当てた事など無いし、見返りも無い人助けなんて成り行きでしかした事は無い。
 

 だから、俺はチビドラゴンとその他荷物をその場に置いて走り出した。
 

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