「・・・・・・ッ!?」
 

 前方十数歩も無い距離を一気に駆け抜け、その小さな背中を押し退ける。予期せぬ方向からの衝撃に何の抵抗も出来ずに、女の子は詠唱を中断させられバランスを崩し倒れた。標的が増えた事に一瞬だけ困惑しスピードを落としたブラックガーゴイルだが、一人ずつ倒していけばいいと考えたのか、そのまま目的地を変えずスピードが上げる。ただ、攻撃対象は俺に変わってしまった。
 

 体当たりを食らっただけでも身体がバラバラになりそうなスピードの癖に、その上ブラックガーゴイルは鋭い爪を俺の胸目掛けて突き出している。せめて愛剣さえ無事ならば、腕が折れようともげようと一撃くらいなら防げただろうが、こんな木の棒じゃそれも叶わない。
 

 「キシャアアアアア!!」
 

 「クッソォ!」
 

 無駄だとわかっていようと、勝利を確信し早くも勝ち鬨をあげるブラックガーゴイルの爪に向けて木の棒を打ち振る。スローモーションで見えた気がする爪、触れ合った瞬間に音も衝撃も無く切り裂かれた木の棒、ニヤリと笑ったガーゴイル。
 

 ああ、待った、ちょっとタンマ、時間よ止まれ。このまま行くと確実に俺は死んでしまう、頼むから、頼むから許してくれ。黙って懇願する俺の声はやはり届かず、一瞬にして異物が俺の体内に減り込んだ。
 

 「グ・・・・・・ァ・・・・・・ッ!」
 

 木の棒には無かった衝撃が肋骨に響き、勝手に全身がくの字に曲がる。激痛と共に異常な嘔吐感に襲われ、自分がどうなってしまったのかを確認する事も出来ない。
 

 こうなることはわかっていた、女の子を助けるには自分の身が犠牲になってしまうだろうと。何でそんな行動を起こしたのか自分でもさっぱりだ、目の前で盗賊に襲われている女性を見捨てようとした事もあれば、餓え苦しんでいる子供にパンを見せびらかし貪った事もある俺が見返りの無い人助けなんてするはずが無いのに。
 

 いや、そうか、俺は見返りを求めたんだ。きっとうまくいけばパートナーができると考えたに違いない。更に、パートナー同士で結婚するなんてよくある事で、そこまで期待していたのかもしれない。だが、死んでしまっては意味が無いじゃないか、なんでこんな簡単な事を考慮しなかったのだろうか。
 

 不意に感じた浮遊感、天に昇っているのかもしれない。半分も開いていない目から見えるブラックガーゴイルが離れていく、コレで俺が空に向かって飛んでいたのなら昇天に間違い無いのだが、どうやら俺は地面すれすれを飛ばされているようだった。
 

 「―――ぐァッ! ァ・・・・・・」
 

 かなりの距離をぶっ飛ばされ、やっと止まったと思ったら背中に鈍痛、このゴツゴツとした硬い物は木だろう。ブラックガーゴイルの超加速切りつけ攻撃をモロに受け、俺はぶっ飛ばされたらしい。全身がバラバラにやったかのような痛みが走っているが、ここまで思考が働くと言う事はどうやら生きているようだ。
 

 それにしてもおかしい。上半身を起こし背を木に預け、自分が生きている事と再び女の子とブラックガーゴイルが戦闘を再開したことを確認して、何故自分が生きているのかを考えた。
 

 あの速度で体当たりを食らえば内臓破裂は確実で、更に長い爪に串刺しにされた筈なのに、俺はまだこの世に生を持っていた。痛みの残る胸を見てみるが、やはり爪を突きたてられたようで服が裂けている。だが、赤黒く染まってはおらず、変わりに白銀の何かが顔を覗かせていた。
 

 特に日焼けをしていないためどちらかと言うと俺の肌は白い方だが、こんなに真っ白く輝く肌ではない。ではこれは一体何か、考えずともわかった。
 

 「きょ、教会で拾った・・・・・・」
 

 破れた服から引っ張り出したそれは、教会で女の子から隠し通そうと服の下に入れておいた銀色の剣だった。コイツに命を救われた事はわかったが、やっぱり不可解な点が持ち上がる。
 

 前に述べたように、この剣は軽い。どんな金属で精製されているのか羽より軽いかもしれない。とはいえ、こんな物を服の下に入れて歩けば胸や腰に当たって邪魔になる。更に、地肌に触れていたため絶対に何らかの感触はあったはずなのだが、それを気にする事が無かったどころか、剣の存在を今まですっかり忘れていた。
 

 まるでそう、その場にあってその場に無い、この剣が昔から俺の胸に張り付いていたような、身体の一部のような感覚。気持ち良いようで気持ち悪い、頼もしいようで恐ろしい、この剣に触れているだけでそんな心情が湧いてくる。俺の五感が狂ったわけじゃない事はこの痛みで証明されているはずだが、教会で剣に触れた時にはこんな感情は生まれなかった。
 

 そういえば、特殊な環境下によりその力を最大限発揮する武具を見たことがある。長年土に埋もれた石や雷に打たれた木などには魔力が宿る事があり、そういう特殊な材料を使って作った武具は、炎で炙ったりして熱を持たせることにより切れ味を倍増させたり、水をかけるなどで濡らす事で硬度を上げる事が出来たりと特異な性能を秘める。当然、そんな特別な武具は値段も普通じゃない。
 

 「コレもそうなのか・・・・・・?」
 

 ゆっくりと鞘から剣を抜き掲げる。炎と月の光を反射させ輝く銀の塊は、神聖さを感じさせる色合いだと言うのに、何処か妖美で不気味だった。俺を包み込むような光は優しく暖かいが、何かを求めているように執拗に絡みつき、見ているだけで吸い込まれそうになるのを煌く刃が全てを拒絶するように視線の先へ立ちふさがっている。
 

 「・・・・・・そういえば」
 

 剣を恍惚と見つめながらポツリと呟く、それ以外の周りの音が耳に入らず、視線は剣に釘付けになっていた。
 

 すぐにでも思考が停止して、意識が飛びそうなのはガスや煙のせいだけなのだろうか。女の子はまだ戦っているのか、チビドラゴンは無事なのかも気にならなかった。
 

 今とても大事なのだろう記憶がすぐそこまで出てきているというのに、完全に出てこない。何かに拒まれているように靄が張り、薄っすらと影しか見えないのだ。この届きそうで届かない記憶を掴み取らないと、今すぐ思い出さないと取り返しのつかないことになりそうで、俺は記憶の探索に没頭した。
 

 ―――知らないで。
 

 「え?」
 

 ふと、頭に響いたその声で我に返った。周りを見渡してみるが、女の子はブラックガーゴイルと接戦を繰り広げているし、チビドラゴンもドラゴンに寄り添い震えており、俺に声をかける人は見当たらなかった。
 

 では、あの声は誰の声だったのか、またも増えた謎を推理しようとも考えたが、そんな事をやっている場合じゃない事に気が付く。
 

 ブラックガーゴイルの猛攻を女の子は掠りながらも冷静にかわしており、時折魔法を繰り出しダメージを与える。女の子が妙に冷静な分、ぱっとみたところ互角のように見えるが、よく見ると傷だらけなのは女の子だけでブラックガーゴイルは全くの無傷だった。
 

 強力な魔法を使うためには相応の詠唱時間を必要とするのはご存知の事、女の子は猛攻を受けているため威力が落ちても詠唱が短い魔法しか使えず、大したダメージを与えられないようだ。威力が落ちているといっても、俺の身体と変わらない大きさの真空刃を飛ばしている。
 

 宮廷魔術師でさえも数秒の詠唱では頭サイズの炎弾を出すのが限界だろう、それを遥かに超す大きさと精密さ、やはりこの女の子は世界屈指の魔術師になれる素質と実力を持っている。そして、それを何発食らってもブラックガーゴイルの動きは鈍らなかった。
 

 このまま状況に何の変化もおきなければ、確実に女の子は負ける。予想的中率三十パーセント未満の俺だが、今回の予測だけは自信がある。
 

 「ああ、もう・・・・・・だから嫌だったんだッ! さっさと逃げればよかったッ!」
 

 女の子に聞こえない事を祈りながら大きく愚痴をこぼし、新品だとアピールしているかのように輝く剣を支えに立ち上がる。全身打撲に嘔吐感、頭痛腹痛筋肉痛に、寒気に眠気。ボロボロの身体をフラフラと起こすのだけで一杯一杯だ。
 

 軽く深呼吸をしながら剣を握りなおす。考えてみると、愛剣以外の剣を使うのは初めてかもしれない。
 

 「よろしくな、相棒」
 

 優しく柄を撫でながら声をかけるが当然返答は無い。一時的とは言え、命を預ける事になる相棒への挨拶も済ませた、もう時間稼ぎになりそうな行動も残っていない。大きく息を吐きながら瞳を閉じる。
 

 やはり、何をしようと恐怖心は拭えない。痛いのは怖い。苦しいのは辛い。死ぬのは好きではない。それでも、今更見捨てようなんて気は起きなかった。さっき散々迷った結果、俺は女の子を助けてしまったんだ、それならとことん助けてやろう。もちろん、謝礼は相応な物を要求してやるつもりだ。
 

 ゆっくりと瞼を開き、ブラックガーゴイルを見据える。今まさに木に追い詰めた女の子にトドメの一撃を加えようとしている黒い光沢を放つ硬そうなあの皮膚を、このショートソードはちゃんと切り裂いてくれるだろうか、反撃を受けたら一瞬で折られないだろうか。そんな不安が生まれてくる。
 

 ―――大丈夫。
 

 そんな声が聞こえた気がした、ついに恐怖心から妄想に走ってしまったのかもしれない。けど、例え空耳だとしても、その声は俺に最後の一押しをしてくれた。
 

 「ハァアアアアアッ!」
 

 喉が張り裂けそうなほど叫びながら走る。あとで喉が涸れてしまうだろうこの行動には二つの意味がある。こちらに注意を向けさせないと女の子が危険なのと、どうせこっそり近づいてもばれるのだからハデに行ってやろうと言う気持ちだ。
 

 真後ろからの咆哮に、振り上げたその腕を下ろすことを忘れ振り向いたブラックガーゴイル。死んだ、少なくとも完全に戦力外になっただろうと思っていた俺が立ち上がった事に驚愕しているようだった。
 

 女の子はその一瞬の隙を見逃さない。すぐに何処からかナイフを取り出すと、それを両手で逆手に持ちブラックガーゴイルの胸に突き刺した。
 

 「ギャアアアア!!」
 

 苦痛に悲鳴をあげるブラックガーゴイル。ナイフ自体が刺す事を目的に作られた尖ったもので、更に女の子の細い腕とはいえ全力を込めて突き刺したはずなのに、刃の三割も身体にめり込んでいなかった。
 

 それだけブラックガーゴイルの皮膚が硬いのだろう。怒りに瞳を燃やしながら女の子に向き直り、振り下ろしたその腕より早く、俺はブラックガーゴイルに一撃を加えられる距離に居た。
 

 もう迷いは無い。俺はただ、死に面しているというのに冷静な面構えを崩さない女の子を助けるため、白銀の剣を信じて悪魔の首に振り下ろせばいいだけなのだから。
 

 ―――ブンッ。
 

 ブラックガーゴイルの首に一撃を叩き込んだ瞬間、皮膚の硬さのせいか、剣が重くなった気がした。まるでマキを割ったような感覚、一瞬で首が飛び、手に残る感覚も微かで骨があったのかどうかもわからない。
 

 首と同時に生命も失ったはずのブラックガーゴイルだが、勢い付いた腕は止まらない。目標を無くしたその腕は、爪の先で女の子の頬を掠め小さな傷を付けると、そのまま身体を引っ張り冷たい地面に倒れこんだ。
 

 「ハァ・・・・・・ハァ・・・・・・」
 

 ボロボロな上に急激な運動をしたためか、目前にいる女の子が三人にも四人にも見え、身体がやたらと酸素を求める。心臓は破裂しそうなほど運動しているのに、手足はもう動いてくれなかった。
 

 散々手間を取らせてくれた高級モンスターと言えど、死んでしまえば呆気ない物で、その亡骸はピクリとも動かず夜風に曝されていた。
 

 あ、もう立ってられない。そう思ったのが早いか、何も言わず次の行動を伺うように俺を見ている女の子に声をかける事も出来ず、横に半回転しながら仰向けに倒れる。同時に、この森全ての草木が揺れたんじゃないかと思うほど大音量のざわめきが耳に入った。半開きになった瞳から見える空は山火事で真っ赤なんだろうと予測していたが、いつの間にか無数の黒に覆われていた。
 

 もしかすると、俺の見間違いなのかもしれない。疲労が溜まり過ぎて頭がおかしくなっているのかもしれない。きっとそうだ。だって、その黒が全てブラックガーゴイルに見えるなんてありえないじゃないか。それとも、今殺したブラックガーゴイルの呪いか何かだろうか。
 

 何百匹いるかも知れないブラックガーゴイルのうち、先頭の一際大きいリーダー格が俺を見てニヤリと、楽しそうに、嬉しそうに笑った。
 

 すっかり料理された目の前の餌に顔を綻ばせたのかもしれないし、これから殺される俺に哀れみを込めた笑みだったのかもしれない。朦朧とする意識の中、轟々と辺りが燃えてゆく音とそいつのその顔だけがしっかりと脳裏に刻み込まれ、俺は意識を失った。

inserted by FC2 system