右も左も上も下も正面も、四方八方どこまでも白、そんな空間に一人の女の子が居る。
 

 歳は俺と変わらないくらいだろう。スラリと細長く、全くと言って良いほど日に焼けていない白い腕が強調される黒いワンピースを身に纏っているその子は、長い黒髪を一つに結っていた。
 

 その瞳は悲しみと哀れみで溢れそうになっていたが、その中に何処か期待にも似た輝きがあった。極最近会ったような気もするのだが、どうも思い出せない。雰囲気だけで言うと大犯罪者のあの子にも似ているのだが、身長も顔つきも違う。あの子はもう少し背が低いし完全に無表情だ。
 

 じっとこちらを見ているだけだったその子が唇を動かした。大して遠い距離でもないのに、声は聞こえない。でも、何故か伝えたい事は分かった。
 

 ―――ごめんなさい。
 

 それだけ言うと、すぅっとその子は消えた。
 

 同時に、真っ白な空間が真っ黒になった。

 

 

 

 

 パチパチと何かが弾ける音がする、右半身が妙に暖かいことから推測するに、焚火の音だろう。何故だか全身がズキズキと痛く、それを加えてまだ眠いので起きたくない。でも、意識が半分覚醒してしまったようで、二度寝をする気にもなれなかった。
 

 完全に頭を覚醒させるのも兼ねて何故身体がこんなにダルイのか思い出す。
 

 昨日は何をしていたんだったか。確か、巨大化したブタのような下級モンスターの群れを見つけ、数ヶ月ぶりの肉だとハシャギ、群れに突っ込み返り討ちにあったんだっけ? いや、アレはもう少し前の話か。じゃあ昨日は・・・・・・。
 

 「・・・・・・あッ!?」
 

 目を見開き、鉛のついたような身体を無理矢理飛び起こす。『大犯罪者』言うキーワードで昨日の記憶が全て蘇った。チビドラゴンの事、ブラックガーゴイルの事、山火事の事、女の子の着替えを覗いてしまった事・・・・・・いや、コレは忘れた方が身のためかもしれない。
 

 首が千切れそうなほど振り回して辺りを確認する。そこは一点を除いて闇の世界、太い木々がお化けに見えたりしそうで不気味だ。どうやら本当に焚火の音だったようで、俺はあの山火事現場から安全地帯に運ばれたらしい。まだ夜で森を抜けて居ない所、そう遠くに運ばれたわけでもなさそうだ。
 

 今は俺を運んだのが誰なのかを知るより、ブラックガーゴイルの方が気になった。あの群れは幻だったのか現実だったのか、現実なら何故俺は生きているのか、チビドラゴンや女の子は無事なのか、俺の愛剣は直ってくれるのか、山火事の責任は俺にもあるのか、国に逮捕されてしまうのか。考えれば考えるほど混乱する。
 

 もしかしたら俺は今ブラックガーゴイルに捕らわれているのかもしれない。どこかその辺に大きな鍋が用意してあり、その煮立った熱湯へぶち込まれようとしているところだったりして・・・・・・想像するだけでゾッとする。
 

 「その心配はありません」
 

 何処からか聞こえた女の声に、俺の身体はビクン弾み過剰な反応をした。決して大人っぽい声ではないのだが、その冷静で淡々とした口調は凛々しい女性を連想させた。でも、周りを見渡しても暗闇ばかりで声の主は見つからない。
 

 「こちらです」
 

 再び聞こえた声はやたら下から聞こえた。地面が喋るわけでも無いし、誰かを下敷きにでもしてしまっているのかと慌てて飛びのく。だが、やはりそこは地面で何も無かった。もしかして地中の中に居るモンスターが俺をからかっているのだろうか。
 

 「いえ・・・・・・こっちです」
 

 更に聞こえたその声は、何故か俺の右手から聞こえた気がした。そういえばずっと何かを握っていた事に気が付き、それが何かを確認する。
 

 それは白銀の剣、そういえば鞘に収めた覚えも無ければ気絶した時に放した覚えも無い。まさか、寝ている間もずっと持っていたのだろうか? 人並みに寝返りは打つ方だが、怪我がなくてよかった。
 

 で、声の主は何処だろう。
 

 「信じられないのも分かりますが、私です」
 

 呆れと、ほんの少し悲しみの様な物を感じられるその声は、やっぱり白銀の剣から聞こえてきた。
 

 しかもコイツ、先ほどから俺の思考を読み取っている。背筋が凍り、未知なる存在への恐怖が込み上げてきた。
 

 「けけっけけけけ剣が喋ったああああああ!?」
 

 込み上げた物が一気に爆発し、俺は剣を遠くに投げようと腕を振り回した。
 

 「あれ!? 放れない! 手にくっ付いてるのか!?」
 

 いくら腕を振り回そうと剣が放れないのもそのはず、とにかく距離をおきたいと言う気持ちとは裏腹に、手はしっかりと白銀の剣を握り締めていたのだから。
 

 なんだこれは、呪いか? 呪われた剣なのか? 
 

 「落ち着いてください、害を与えるつもりはありません。・・・・・・今の所は」
 

 「最後の一言で余計に安心できなくなった! 放れろ! 放れてくれ!」
 

 冷静に俺を宥めようとする剣だが、一言余計だった。
 

 今の所は害を与えない? つまり、そのうち害を与えるってことじゃないか、そんなものを近くに置いておけるわけがない。全身がボロボロなのも忘れ立ち上がり、更に強く腕を振り回す。剣を放す事で頭が一杯で、近くの茂みがガサガサと揺れたのも気にならなかった。
 

 そこから顔を出したのは、先ほど俺が救ってやった女の子とチビドラゴン。先の戦いでの生々しい傷跡は一切癒えておらず、何処で何をしていたのか、かなり疲れているようだ。そんな女の子から『何やってるんだコイツ』とでも言いたげな冷めた視線で刺し貫かれても、俺は冷静さを取り戻せなかった。
 

 「ああ、いい所に! この剣が急に喋り出して、一生放れてやらないって、呪い殺すって言ってるんだ!」
 

 恐怖で涙目になりながら女の子に訴えるが、全く取り合えって貰えない。チビドラゴンも暴れまわる俺を怖がっているようだ。
 

 「申し訳ありません、言い方が悪かったようですね。私から貴方へ直接危害を加えることはありません」
 

 「!」
 

 女の子達の登場を特に気にすることなく、白銀の剣は自分の発言を訂正する。無機物であるはずの剣が本当に言葉を発した事に、女の子はほんの少し表情を変え、驚いたように剣をジッと見つめ出した。チビドラゴンは普通剣と言うものが無機物だと言う事もわからないようで、気にしていないようだ。
 

 白銀の剣があからさまな敵意を持っていない事と、心強い味方・・・・・・かどうか、まだ分からないが、敵でも無いだろう一人と一匹が現れた事で、少しだけ落ち着きを取り戻す。
 

 「き、直接危害を加えるつもりは無いと言われてもな、じゃあ間接的には加えるってことか?」
 

 「・・・・・・」
 

 白銀の剣は黙り込む、どうやら図星のようだ。
 

 直接的だろうが間接的だろうが関係ない、俺に危害が及ぶのならば傍に置いておくのは危険だ。
 

 「と、とにかく放れてくれよ。俺だって鬼じゃない、その辺に捨てて行ったりはしないから。ちゃんとその手の物を集めてるマニアに売るつもりだからさ」
 

 冷や汗を垂らしながら、放れるよう説得を試みる。余計にタチが悪いと思われそうなセリフだが、そんなことはない。
 

 マニアと言うのはコレクションをちゃんと愛情を持って大事にする。朝昼晩の手入れを欠かさず、決して傷がつかないように管理し、時に仲間にコレクションを自慢したりもする。つまり、この白銀の剣も然るべきコレクターの下へ売られれば幸せになれるわけだ。ついでに、俺も金が入って幸せになれる。
 

 「・・・・・・わかりました、私を鞘に収めてみてください」
 

 その、何処と無く悲しそうな声に罪悪感を感じないわけでもないが、やはり自分の身は可愛い。俺に出来ることはちゃんとしたコレクターに売ってやる事だけだろう。
 

 「わかった、鞘だな。ええっと・・・・・・鞘が無いッ!?」
 

 自分の身体とその周りを確認してみるが、鞘だけでなく、大切な道具袋も無い。腰に差していた愛剣など身に着けていたものは無事だが、他のものは全てなくなっている。
 

 慌てて回想してみると、確かブラックガーゴイルに殺されそうな女の子を助けに行くため、チビドラゴンと共にその場に荷物を全て置いたんだった。鞘は確か、背もたれにしていた木の根元に置きっぱなしだ。
 

 戻ろうにも道がわからないし、恐らくまだあの辺り一帯は燃え続けている事だろう。そんな所に飛び込むなんて自殺行為だ。数日後、完全に焼失した森に戻ってきたとしても、あの木があっただろう場所を探し出す自信も無い。
 

 「一応聞いておくけど、鞘が無いとどうなるんだ?」
 

 「一生このままです」
 

 平然と告げられたその言葉は、酷く絶望的な意味を持った物だった。一生抜刀状態だと、どれだけ不便か考えてみる。
 

 町に入ろうとすると、警備兵が押し寄せて逮捕されるかもしれない。寝ている間にぶっすり身体に剣が突き刺さっているかもしれない。食事の時に、剣をスプーン代わりに使うとして、口を切ってしまうかもしれない。なんて不便なんだ。
 

 「町に入る時には布を巻きつければ大丈夫でしょう。寝ている間にマスターに傷をつけてしまわぬよう己を管理する事くらいなら出来ます。スプーンは・・・・・・左手で持ってはどうでしょうか」
 

 頭に浮かんだ災厄の対策を剣は一つ一つ淡々と告げる。意外と頭が回るヤツのようだ。
 

 一瞬、それなら大丈夫かななんて考えてしまったが、右手が使えないと言うデメリットはこれから数千数万の難点を生むだろう。それら一つ一つをうまく解決するなんて無理だろうし、何よりこの剣が手に張り付いている事で生まれるメリットがない。
 

 自分で言うのも何だが、俺は損得勘定で物を考える利己的な性格で、それをうまくこなせている方だ。今まで俺の計画通りに事が運んだ事は十パーセントにも満たないが、それでも得をした事は大よそ二十三パーセントにも及ぶ。
 

 そんな計画的な俺が、これからの人生に支障をきたすだろう右手の支配を許しておくわけが無い。何とかコイツを引き剥がせない物か。
 

 ようやく冷静になった頭で『白銀の剣大売出し大作戦』について計画を練るが、いいアイデアが浮かばない。指を切断するなんて当然却下だし、油でヌルヌル作戦も肝心の油がない。肉脂でもヌルヌルするよなぁと、チビドラゴンを見つめていると、何を感じ取ったのかチビドラゴンは怯えて女の子の後ろに隠れてしまった。チッ。
 

 視線がチビドラゴンを追いかけると、必然的に女の子が目に入る。衣服も身体も傷だらけで、傷自体は浅いのだろうが外傷だけで言うと俺よりずっとダメージを負っていた。見るからに痛そうで、今消毒液の風呂にでも入ったらショック死してしまいそうだ。
 

 そんな惨憺な女の子だが、杖と道具袋は傷一つ付いていなかった。あの杖は俺の愛剣を大破寸前に追い込んだブラックガーゴイルの攻撃を何度か正面から防いでいたはずなのに、全くの無傷。削って槍にでもすれば金貨五百枚は下らないだろう。
 

 道具袋もあの激戦でよく無事だったものだ、中身ごとゴミクズ同然にバラバラになってもおかしくなかっただろうに。そういえば、戦っている女の子は道具袋なんて背負っていただろうか? いや、確かあの軽快なフットワークに揺れていたのは糸の様に細く美しい髪だけで、あんな重い物は無かった。じゃあ何処にあったんだったけか? ・・・・・・そうか、俺が預かったんだった。チビドラゴンと女の子の荷物と俺の荷物、全部まとめてドラゴンの近くに置いて来たんだ。それを女の子が持っていると言うことは、もしかすると・・・・・・。
 

 「あの、ちょっとお聞かせ願いたいのですが、その道具袋があった近くの木の根元辺りに銀色に輝く鞘が置いてありませんでしたでしょうか?」
 

 だらしない、にへら笑いを浮かべながら相手の気に触れないようそっと聞いてみる。
 

 聞かれた女の子は一瞬の戸惑いも見せず、自分の道具袋から銀の棒を取り出した。アレは紛れもなく白銀の剣の鞘だ。
 

 「それだそれ!」
 

 そんなに距離も無いと言うのに、女の子の元までダッシュで向かい、その手から鞘を奪い取るように貰い受ける。
 

 早速剣を鞘に収めると指の硬直が嘘のように解け、パッと剣から手が放れる。汗ばんでいたわけでも皮が剥がれたわけでもないが、その手は何処と無い寂しさを訴えるように冷えていく。気が付かなかったが、やっぱり森の夜は寒い。
 

 「よかった、鞘が手にくっ付く事は無いか」
 

 鞘を交互に持ち変えて見ることで少し不安だった事も晴れ、未知なる喋る剣をじっくりと観察する。
 

 外見は特に変わった事は無く、異常なのはこの軽さくらいだ。この煌びやかな銀に滑らかな切れ味、それだけでも大富豪は一生遊んで暮らせるだけの金を出してくれるだろうが、その上対話できるとなれば末代まで安泰だ。
 

 「でも、お前は他人の物なんだよな」
 

 金で雇った女達に囲まれ、ハーレム気分を味わう妄想をしている所でその事に気が付く。
 

 この剣は教会にあったもので、恐らく誰かの忘れ物か、教会の貴重な備品を隠してあったものだ。そんなものを勝手に持ち出して、バレたら逮捕どころじゃ済まないかも知れない。
 

 そりゃ、別の大陸にでも行って売ってしまえばバレる可能性は低いだろうが、やっぱりこの剣自体が持ち主の元へ戻りたいのであれば、俺はその持ち主を探してやるつもりだ。
 

 武具にだって幸せと言うものがある、新品の剣を買ったから前の剣はそこらの道端に『ポイッ』だなんて、俺は許せない。新しい剣を買うくらいなら前の剣を強化してやれ。武具は冒険者の相棒だ、その相棒とうまく付き合っていけないヤツは、冒険者なんて辞めちまえと俺は思っている。そりゃ、新品の綺麗な武器に目が行くのもわかるが、そこを我慢するのが冒険者と言う物だ。致し方ない例として、武具が壊れてしまった場合がある。それこそ、修理できないほどバラバラに壊れてしまった場合。そんな時はその辺に埋めるのではなく、ちゃんと鍛冶屋にもっていけ、大抵の鍛冶屋は使い古された武具を人間の葬式のように壮大な供養をしてくれるのだから。効果があるのかどうかは知らないが、そこは気持ちの問題だ。
 

 「いえ、私に持ち主は居ません」
 

 せっかくの俺の真心をぶち壊すように剣は言う。
 

 「居るとすれば、貴方が私の主人と言う事になるでしょう」
 

 そう言う剣の口調は決して俺をおちょくっている物ではなく、真剣そのものだった。
 

 俺はこんな奇妙な剣の持ち主になった覚えは無いし、なる気もない。長年連れ添った相棒だけで身を守るには十分だし、何よりこの白銀の剣を近くにおいておけば危険が身に迫ると自ら暴露したじゃないか、何でそんな自殺行為をしなくてはならないのか。
 

 心底そう思ったが、先ほど、ああ言ったからには無下に一蹴するわけにもいかない。何とかコイツを説得して、ちゃんとした別れ方をしようと、俺の短所とコレクターの長所を大げさにあげる事にした。
 

 「いいか? お前も見ていたとは思うが、これを見ろ」
 

 腰に差していた愛剣を半分抜き、そこに白銀の剣を近づける。無惨にも一線の亀裂が入ったその愛剣は、ちょっとした衝撃でも真っ二つに折れそうだ。
 

 そんな悲惨な愛剣を見ていると、胸が痛くなってくる。
 

 「わかるだろ、俺が主人だとこんな悲惨な目に遭うんだ。俺の力が足りないのが原因でな」
 

 俺は沈痛な面持ちで愛剣をただ見つめる。
 

 「それに比べ、コレクターは大事に扱ってくれる。こんなにボロボロにならなくて済むんだよ。・・・・・・こいつもその方がよかったかもなぁ」
 

 演技のつもりだったが、言葉をならべるごとに本当に演技かどうか自分でもわからなくなる。
 

 長年連れ添った相棒の剣だが、今まで俺と一緒に居て良い事が一つでもあっただろうか? 雑な攻撃と無理な防御の繰り返しで普段から相当な負担を掛けていたはずだ、今回折れてしまったのだって、そこに大きな原因があったのではないか?
 

 今まで、この剣を欲しがったコレクターや剣士は山のように居た。本当に大事に扱ってくれるコレクターも居ただろうし、剣に負担を掛けない熟練した剣士も居ただろう。そんな奴らに渡した方がよほどこの剣は幸せになれたんじゃないだろうか。相棒だと思っていたのは俺だけで、この剣は俺の事を憎んでいたんじゃないだろうか。
 

 思考がネガティブにしか働かない。今まで愛剣が傷つくなんて事が無かったからか、こんなこと考えた事も無かった。そして、考え出すと止まらない。元々俺が一人語をしていた所為もあってか、話が途切れると一気に空気が重くなったような気がする。
 

 「素敵ですね」
 

 そんな思考と雰囲気の悪化に歯止めをかけるように白銀の剣は言った。
 

 「剣に亀裂が入っただけでそんなにも苦しめると言う事は、それだけこの剣に愛情を注いでいたと言う事でしょう。それはとても素敵な事だと思います。羨ましいくらいです」
 

 「そりゃ・・・・・・物心つく前から傍にあったからなぁ、家族のような物だよ。でもそれとこれとじゃ別物だろう」
 

 遠い目をしてコイツと一緒に居た日々を思い返す。初めてコイツが危険のものだと知ったのはいつだっただろう、確かこの鋭い刃で自分の頬を切ったんだったな。
 

 この剣は本当に物心つく前からの俺の傍にあった。誰が、いつ、なんのために持たせたのかはわからないが、ずっと俺の傍にあったものだ。傍にあったからと言って剣術の訓練をしたわけではなく、本当に傍に置いておいただけで、アクセサリーの一種として見ていた面がある。
 

 本気で剣術を始めたのは十四の頃で、何百回もサボった末、その一年後に旅に出た。その後も剣術の訓練など積まず、剣の切れ味で力押しをして今まで生きてきたようなものだ。愛剣がコイツじゃなければ、俺は今頃夜空に浮かぶお星様になっていただろう。だからコイツには感謝しているし、愛情とも友情ともつかない親近感を持っている。名前までつけて愛でているくらいだ。
 

 だが、それは結局俺が一方的に思っている事で、愛剣がどう俺を捕らえているかは別だ。
 

 「この剣も貴方の事をとても慕っています」
 

 「何でそんな事がわかるんだ?」
 

 平然と言う白銀の剣に、俺は怪訝な視線を向けた。
 

 「本当にご存じないのですね。有機物だろうと無機物だろうと、必ず物には精霊が宿っているのです。本当に力の小さい精霊のため人間とは対話できませんが、私なら言葉を聞くくらいなら出来ます。この剣の精霊は貴方を守れてよかったと喜んでいましたよ」
 

 何故か嬉しそうに話す白銀の剣。その話を信じていいものか迷ったが、昔それと似たような話を聞いたのを思い出した。
 

 『何者にも愛を与えなさい。例えそれが筆であろうと人形であろうと、必ず答えてくれるでしょう。万物全てに命があるのだから』と言う、教会の神父に聞いた言葉だ。ちなみにあのヘラヘラ神父とは違う神父のありがたいお言葉である。
 

 この話が本当なのだとすると、武具の供養も鍛冶屋のインチキ金儲けではないと言う事が証明される。完全に信じる事は難しいが、半分くらいなら信じてやってもいいかもしれない。愛剣のためにも俺自身のためにも。
 

 「そうか、そうだといいな・・・・・・」
 

 「はい」
 

 ほんの少し顔を綻ばせながら愛剣を撫でる、ほんの一瞬だが愛剣が暖かく感じたのは気のせいだろうか。
 

 気が付くと、やけに和やかな雰囲気に包まれていた。
 

 「はっ!?」
 

 これはまずい、俺は白銀の剣にだいぶ好印象を持ってしまった。
 

 きっとこれは白銀の剣の策略なんだろう、口から出任せを言い、俺の心象を良くしようという巧みな技なのだ。俺はまんまとその罠に嵌り、白銀の剣をイイヤツだと思い込んでしまうところだった。危なかった。
 

 「いいか、何だろうと俺はお前を近くに置いておく訳にはいかないんだ」
 

 「はい、分かっています」
 

 厳しい口調にやはり平然と答える白銀の剣。
 

 「では、せめて次の主人が見つかるまでの間だけでも主人になっては貰えませんか?」
 

 人間ならきっと上目遣いで見ているんだろうなと思わせる声。
 

 「う・・・・・・むぅ、次の主人が見つかるまでなら・・・・・・」
 

 一瞬迷ったが、さっさと次の主人を見つけてやればいいだけだと、渋々了承する。決して、ちょっと可愛いかもとか思ったわけじゃない。
 

 それに、愛剣がこんな状態な今、俺は自らを守る手段が無いのだ。切れ味が多少落ちようと剣は剣、あるに越したことは無い。
 

 「ありがとうございます、マスター」
 

 白銀の剣は安堵したように礼を言った。そして、俺を主人と認識した。嫌な気分ではない。ただ、どんな危険が待っているのかが恐ろしい。危害が無いのであれば、俺は一生傍に置いてやっただろう。
 

 念のためにと、腰に剣を差せる箇所を三つにして置いてよかったと思いながら、愛剣の隣に差してやる。
 

 「んでさ、お前、名前はあるのか?」
 

 「名前ですか? ・・・・・・いえ、ありません」
 

 ふと気になった事を聞くと、白銀の剣は妙な間を空けて答えた。
 

 これから先、ほんの少しの間とは言え、ずっと白銀の剣と呼ぶのはとても不便だ。この際だから俺がつけてやろうと、頭をフル回転させる。
 

 白銀の剣・・・・・・しろくぎんいろ・・・・・・しろぎん・・・・・・。
 

 「うん、じゃあお前の名前はシギだ」
 

 「安易な発想ですが、いい名前ですね」
 

 俺の天才的なネーミングセンスで生まれた新たな名前、シギ。シギ自身も悪いとは思っていないようだった。新たに増えた旅のお仲間に酒でも奢ってやりたい気分だが、コイツは飲食を行いそうに無い。
 

 なんだかんだ言って、会話の通じる仲間が出来るのは嬉しかった。愛剣の中にいる精霊に話をかけて見ても返答など無かったし、森の動物さん達に声をかけるようになったら人間として何かが壊れてしまいそうだったからだ。
 

 「シギ、今更だけど、何で俺がこうして生きているか教えてくれ」
 

 「はい、マスター」
 

 やっぱり悪い気分じゃない。
 

 「マスターが気絶をした直後、ブラックガーゴイルの群れは西の空へと飛んでいきました。その後、燃え続ける森からはあそこに居る女性が連れ出してくれたのです。合計一時間三十七分マスターは気を失っていました」
 

 俺の知りたいことを全て簡潔に述べてくれたシギ、気絶時間までハッキリと言ってくれやがった。
 

 周りを見渡して他に女性が居ないか確認するが、やっぱり誰も居ないため、俺を運んでくれた女性というのは、いつの間にか焚火で身体を温めている大犯罪者の女の子だろう。
 

 やっぱり人情の欠片くらいなら残っていたんだなと感心しつつも、どうやって礼を言おうか迷っていた。向こうは礼など期待していないのかもしれないが、シギの鞘の事も兼ね一応言っておいた方がいいだろう。
 

 そっと、ゆっくりと横歩きで不自然の無いように女の子に近づいていき、声をかける。
 

 「えー・・・・・・こほん」
 

 女の子は振り向かない。
 

 「ええっと、その、ありがとうございました」
 

 ちょっと照れながらも礼を言ってみるが、やっぱり女の子は振り向かなかった。
 

 元々旅なんてしていると人と会う機会は少なく、会話をあまりしない上、女となんか一ヶ月に一言話せればラッキーな方だ。しかも礼なんて半年ほど言っていない。
 

 そんな俺が勇気を雑巾を絞るように振り絞って発した言葉をこの女、無視しやがった。ちょっと悔しく、悲しい。
 

 とはいえ、半分以上予想していたことなので、すっぱりと諦めはついた。
 

 女の子の隣に座ると嫌がられそうなので―――俺が緊張すると言う理由もある―――女の子の視界にあまり入りそうに無い斜め前方に座り込む。焚火が暖かい。
 

 そういえば、女の子を見てから何かを忘れている気がしてならなかった。でも、それが何だったか思い出せないので、とりあえず周りを見渡してヒントとなるような物を見つけようとする。
 

 ふと、黒い塊が目に入る。アレはどう見てもチビドラゴンだが、上半身・・・・・・頭から身体半分が何かに埋まっている。何に顔を埋めているのかと目を凝らすと、それは茶色の袋だった。見覚えがあった。俺の道具袋だ。
 

 「だぁあああああ!?」
 

 大声を上げながらチビドラゴンに駆け寄り道具袋から引きずり出す。パンの欠片をいくつも付けながら口を動かしている愛らしいその顔はクエスチョンマークをいくつも浮かべていた。自分が何かしたのかと、そう言っていた。
 

 そんなチビドラゴンを放って置いて、道具袋の中身を確認する。
 

 「あああああ!? パンが! 水が! 十日は持たすはずだった食糧があああああッ!? ・・・・・・あ!? 地図も無い! 地図は食い物じゃないだろ馬鹿!」
 

 道具袋の中には水筒と地図、あの町の食堂で頂いたパンだけしかなかったのだが、コイツは全部を食ってしまっていた。水筒なんて、木で出来ていたとは言え、噛み砕いてしまっていたのだ。
 

 『キュイ?』と可愛らしく首を傾げるチビドラゴンに掴みかかる。
 

 「吐け! 今すぐ吐き出せ!! せめて地図だけでも吐き出してください! アレが無いと、この広い世界で迷子になってしまいます!!」
 

 「キュ・・・・・・クキュウ・・・・・・ゴクン」
 

 首を絞められ苦しそうにしながらも、このドラゴン、飲み込みやがった。
 

 自然と腕から力が抜け、チビドラゴンは開放される。うまく着地したチビドラゴンは慌てて女の子の後ろに隠れる。
 

 この広い世界で地図をなくすと言うことはとても大変な事なのだ。今まで朝日で方角を確認し、地図で町から町を渡り歩いて居たのだが、地図が無ければ方角が確認できても何処に行けば分からない。
 

 魔物、空腹、疲労と、色々な理由から、いい加減に歩き回って、無事に町に到着できる可能性は限りなく低い。せっかく会話の出来る旅の仲間が出来、これから少しの間だがそれなりに楽しくやっていけるんじゃないかと思ったのに、これだ。やっぱり俺は呪われていたりするんじゃないのか?
 

 「マスター」
 

 「ん、なんだ? お前の次の主人は何とかして探してやるから心配するな・・・・・・人間じゃないかもしれないけど」

 

 人の形をしたモンスターがシギを振り回している所を想像する。

 

 「いえ、そんなに大切な物ならば、あの女性もそれを持っているのではないでしょうか?」
 

 あの女性と言うのは女の子を指しているのだろう。そういえばそうだ、女の子だってデタラメに歩いて町から町へ窃盗を繰り返しているわけではないだろう。きっと大都市を巡り歩いているはずだ。そのためには当然、地図が必要なはずである。
 

 でも、チビドラゴンに泣き付かれちょっとこちらを睨んだあの女の子が素直に地図を貸してくれるだろうか?
 

 貸してくれるわけが無い、だってアレは女の子にとっても命綱のはずだからだ。いや、アレだけの戦闘能力があれば数ヶ月町につけなくても生きていけるか。
 

 何にせよ、俺が遭難しないで済む方法は本当に一つしかなくなってしまった。女の子の機嫌を取って、次の町に着くまで一緒に居させてもらうと言う実に情けない作戦だ。
 

 「・・・・・・よし」
 

 そうと決まればとりあえずやってやろう、仲良くなるのだ。どんな風に声をかければいいだろう。
 

 紳士的に接してみようか気楽に接してみようかと一瞬迷った隙に、俺の行動を先読みしうまく回避するように女の子は立ち上がり、荷物を持って歩き出した。その背中に黙ってついて行くチビドラゴン、もう行くようだ。
 

 「また山火事を起こす気かアイツは・・・・・・」
 

 愚痴をこぼしながらも女の子が放置して行った焚火を蹴飛ばしバラバラにしたり踏んづけたりして火を消そうと頑張ってみるが、濛々と燃えているこの火を足だけで消すのは時間がかかりそうだ。
 

 「ああッもうッ! まだ半年も着てないズボンが焦げる! 銅貨七枚もしたのにッ!」
 

 尚も踏み続けると、だんだんと火力は弱くなっていった。まぁ、これだけ頑張ったしもういいだろうと、まだ熱の残る薪を放置し、だんだん見えなくなって行く背中を走って追いかけた。せめてもの救いは焚火の下が土だったと言う事だろう、山火事になるかならないかは運任せだ。
 

 「それで、何処に行けばいいのかわかるのか?」
 

 女の子に追いつくと同時に声をかけるが、その問いに答えが帰ってくる事は無かった。でも、俺の追行を拒絶はしなかった。
 

 後ろから見ても女の子の傷は目立った。深く切られているのだろう傷がいくつかあり、傷薬を使っていないのか、未だに傷口が塞がる様子も無く、ほんの少しではあるが血が流れ出していた。
 

 歩みも何処と無く不安定なのは、疲労と痛みからだろう。
 

 「俺もあの攻撃を受けてよく生きてたもんだよな」
 

 呟きながら、自分の胸を軽く叩いてみたりジャンプしてみる。やっぱりまだ痛いが、それは生きている証でもある。
 

 たとえ先端が尖っていない丸太だろうが、高速で身体にぶつけられれば、その重みが何倍にも増し、死ぬ。これは誰だろうと知っていることで、それを利用した丸太を使ったトラップも作られている。
 

 ブラックガーゴイルの体重は丸太より軽いだろうが、途轍もない速度で一点に絞った攻撃だったのだ。腕ごと俺の身体を貫通してもおかしくは無かった。シギが間に入っていても、肋骨がバラバラに砕け心臓に刺さっていて当然の攻撃だった。
 

 「私には衝撃を軽減する力がありますから」
 

 なのに、何故俺が生きていたのか。その疑問にはシギが答えてくれた。
 

 「並大抵の攻撃でしたら、ほぼ衝撃を感じず受け止めることが可能です。ですが、あの突きは強力でしたので、多少マスターに流れてしまいました。申し訳ありません」
 

 「いや、別にそんな・・・・・・助かったよ」
 

 シギが居なければ、俺はあの場で死んでいた。謝礼を要求されるいわれはあっても、謝られるいわれは無いはずなのに、シギはとても申し訳無さそうにしている。ちょっと焦る。
 

 「シギは大丈夫だったのか? 受け止められないほどの衝撃だったんだろ?」
 

 「はい、あのくらいの攻撃なら何度でも受けられます。試して見ますか?」
 

 「いや、やめとく」
 

 シギは自信満々に、ちょっとだけ自慢げにそう言ったが、あんな攻撃何度も受けていたら俺の身体が持ちそうにないので、あからさまに嫌そうな顔で拒否しておく。
 

 こんな何でもないやり取りが楽しいと感じられる、やっぱり仲間が居るのはいい事だな。なんて、ちょっとした詩人気分で久しぶりの会話に浸りながら、前に居る女の子とチビドラゴンに目を向ける。
 

 この一人と一匹は先ほどから何の会話もせず、ただただ歩いている。まぁ、モンスターとの会話と言うのも変な話だが、先ほど見たく何らかのコミニュケーションは取れるはずだ。でも、ただただ歩いているだけだった。
 

 何時間歩くかも分からないと言うのに、変わり映えしない森をずっと見続けるのは退屈じゃないのだろうか? 少なくとも、俺はさっき退屈だった。だから思っていることが自然と口に出てしまった、返答が帰ってくることをちょっとだけ期待して。
 

 それでも、女の子の歩幅が俺と二人の時より狭く、ゆっくりと歩いているのは、きっとチビドラゴンを気遣っているからだと思う。何故女の子がチビドラゴンに優しいのかはわからないが、チビドラゴンも女の子には弱いのだと思う。アレだけ強情にドラゴンの傍から離れなかったのに、従順としているのがいい例だ。
 

 それにしても、どうやってチビドラゴンを説得したのだろうか。
 

 「顔にビンタ一発を食らわせていました」
 

 目撃者であるシギが、頼んでも居ないのに語る。
 

 「それほど強くぶった様子も無かったのですが、それだけでドラゴンの子供は大人しくなりました」
 

 まぁそりゃ、女性にビンタをされると肉体的ダメージの何万倍も精神的ダメージの方が大きいだろう。その子が可愛いほどダメージも大きく、女の子ほどの美少女にやられると、俺なんかもう立ち直れないかもしれない。
 

 でも、チビドラゴンが雄か雌かはともかく、女の子を『美人』と捉えるだろうか。高い知能とソレにより生まれる感情を持っているのは先に説明したように明確なのだが、別種族の良し悪しが分かるとも思えない。何か別の理由があると考えた方がいい。例えば、女の子が鬼にも勝る形相でチビドラゴンを睨み付けたとか。
 

 何にしても、ブラックガーゴイルの恐怖にも屈せずドラゴンの傍から動かなかったチビドラゴンが、女の子の説得だか脅迫だかわからない行動で従順としているのは事実で、チビドラゴンが女の子に弱いんじゃないかと言う予測は正解だったようだ。
 

 「マスター、少し明るくなってきましたね」
 

 一瞬、俺がそんなに暗い人間に見えたのかと思ったが、少しではあるが空が青さを取り戻し始めていた。きっと、こっちのことを言っているのだろう。

 

 向かっている方向の空が他よりもやや明るい、東に向かって進んでいると言う事だろうか。だが、俺には進んでいる方向が分かろうと分かるまいと関係なかった。地図が無く、何処へ向かえばいいのか全く分からないのだから。
 

 溜め息をつきながら女の子の様子を伺うが、以前、変わらず歩いている。チビドラゴンも同様だ。
 

 ふと、このままでいいのだろうかという念が生まれてきた。
 

 俺が生き延びるためには次の町に着くまで、せめて誰か人を見つけるまでは女の子に付き纏わなければならない。長ければ一ヶ月、短くとも一週間は女の子にお世話になる事だろう。
 

 別に、良き人間関係を築きたいなどとは思っていない。まぁ、さっきまでは思っていたが、女の子があそこまで拒絶しているのに、無理矢理そういう関係を築こうとするのは如何なものだろう。でも、せめて、普通に会話出来るくらいには仲良くなっておきたい。朝起きると誰も居ないなんて事になっていない様にだ。
 

 そこで俺は、早足で女の子の隣まで追いつき、幾度か目のチャレンジをする事にした。
 

 「いやぁ、いい天気になってきましたね」
 

 まだまだ灰色の空を見上げて、出来るだけ気楽な声で繋げやすいだろう話題を出す。
 

 「昨日は雪国見たいに寒かったんですけどね、あの山火事のおかげで風邪をひかずに済みましたよ」
 

 はははと笑ってみるが、女の子はやっぱり無反応。何だか怒ったような雰囲気を出しているのは、皮肉に聞こえてしまったからだろうか。慌てて話題を変える。
 

 「ああ、そういえば聞いてください。この喋る剣なんですけどね、シギって名前にしましたよ。白銀の剣だからシギ! 悪くないと思いませんか?」
 

 無反応。
 

 「それでですね、俺の愛剣の事なんですが、見ての通りボロボロです。こんな事今まで無かったので、腕のいい鍛冶師を知らないんですよね。オススメのお店とかありますでしょうか?」
 

 無反応。
 

 「ええっと・・・・・・あ、ほらアレ! あの花って食べれるんですよ。ちょっと目眩はしますけど、味付けさえしっかりすれば美味しいものです」
 

 話題が無くなりかけたので食った事のある紅い花を指差した。それでも、女の子は無反応。こうなると、俺の話を聞いてくれているのかさえわからなくなる。
 

 本当に話題が無くなって来たので、シギからも何か言ってやって欲しい。
 

 「・・・・・・」
 

 シギのヤツ、無視しやがった。こういう時こそ会話の出来る剣の出番だろうに。やっぱり、剣だろうとこういう子は苦手なのだろうか。
 

 辺りをキョロキョロ見渡し、何か話題に出来るものが無いかと探すが、特に目立ったものが無い。仕方ない、聞くも語るもくたくたになると有名な愛剣の自慢話でもしてやろう。本当に喉が痛くなるから親しい人にしかしないのだが、今回は特別だ。
 

 「いやぁ、貴方も気になっているでしょうが、この見るからに美しい愛―――」
 

 「どうして」
 

 上機嫌に語り出した俺の言葉を遮り、女の子は足を止め、振り向き俺の目を見て言った。
 

 「どうして助けたの?」
 

 全く感情が読めない無表情。その澄んだ瞳は何かを求めるように俺を捉えていた。
 

 怖かった。
 

 悪い事をしたようで、怖かった。
 

 俺はきっと、この子の期待には答えられない。何を求めているのかわからないが、それ自体、単なる俺の妄想なのかもしれないが、きっと俺はこの子を傷つける回答しか持っていない。この問いに、俺は答えられない。
 

 俺がこの子を助けた理由なんて、そんなのは無い。あるとすれば、それは見返りを求めて助けてやっただけだ。金、財宝、身体、何を求めて助けてやったのか自分でも良くわかっていないが、それでも見返りを求めたというのは確かだ。
 

 悪いか? それは悪い事か? 悪くないだろう?
 

 悪くない。そう分かっていても、それは言えない。
 

 女の子の期待に背きたくないから。そう言えば良く聞こえるが、実際はそんなに良い物ではなく、単に見栄を張りたいだけなのだ。
 

 俺は優しい人間だから、身体が勝手に動いてしまっただけなんだ。とか、思わせておきたいだけなのだ。
 

 でも、聞かれた以上、答えなくてはいけない。
 

 何と答えればいいのだろう。
 

 「あー・・・・・・」
 

 呟き、視線を逸らしながら必死に頭を働かせる。
 

 やっぱり、嘘をついてでも良い人を思わせる発言をした方がいいのだろうか。
 

 死に迫っている君を見捨てては置けなかった。とか、言った方がいいのだろうか。いや、ダメだ、そんな事言ったら自分で鳥肌が立つ。
 

 だからと言って、正直に『見返りを求めました』なんて言うのか? そんな事言ったら、後頭部をあのでっかい杖で殴られる。そして、気絶した俺はそのまま見捨てられるに決まってる。
 

 じゃあどうすればいいんだ? どうすれば、この人生最大の危機を乗り切れるんだ?
 

 必死に巧妙な回答を見出そうとしたその時、視界に一筋の希望の光が見えた。
 

 「おお! あれは!」
 

 俺はわざとらしく大声をあげながら、そこを指差した。
 

 女の子が振り向いたその方向には、やけに紅い光が差していた。山火事現場に戻ってきたのかもと思ったが、きっと、あれは森の出口だ。そう思いたい。
 

 俺は逃げるように走った。
 

 途中、石につまずいたり、木の枝に顔をぶん殴られたりもしたが、それでも俺は走った。
 

 そして、森を抜けた。
 

 「・・・・・・おー」
 

 抜けた先は、絶景だった。
 

 何も、何も無いただの草原を、風が吹きぬけ、多い茂った立派な草を揺らし、その音色をここまで届けてくれる。山の間から見える太陽は、まだ半分も見えないのに、先ほどまで灰色だった空と緑豊かな大地を紅く照らしていた。
 

 俺までこの景色に溶け込んでしまいそうな、溶け込んでしまいたいような、そんな光景を少し高い丘から眺めている。まだ冷たい空気が肌を撫でるのも心地よい。
 

 そういえば、この辺は古来から戦争などの被害が無く、豊かな事で有名だった。
 

 「綺麗ですね・・・・・・」
 

 感動したようなシギの声に、『何でさっき助けなかったんだ』と怒鳴る気も失せた。
 

 モンスター狩りと戦争が原因で緑が減っていくこの世界で、この辺りはモンスターが蔓延っているため、住民が少なく、緑が豊かで空気がいい。皮肉な事に、人間は意識しなければ草木を殺してしまうが、動物やモンスターは逆に緑を育むと言われている。
 

 しばらくその光景を見続けていると、女の子が追いつき、隣で止まった。感動で涙しているのだろうと表情を伺うが、やっぱり無表情で、更に、何処かまた怒ったような雰囲気を出していた。さっきの話を曖昧に終わらせてしまったからだろう。
 

 何故だか、この景色を見ていると、何でも許してもらえるような気がしてくる。開放的と言うのはこういうことなんだろうか。
 

 「いやな、実は君を助けたのは見返りを求めたからなんだ」
 

 そして、口が滑った。
 

 「だって君、性格にはちょっと難有りだけど、強いし可愛いし、今助けておけば将来色々と得するんじゃないかと思ってさ。別に変な下心があるわけじゃないぞ。いや、ちょっとはあったかもしれないけど、まぁ、何でもいいから得出来るだろうと思ったわけだ」
 

 油を塗ったようによく滑る口だった。
 

 「でも実際君は何もくれないんだろうな、だってケチそうだし。人間関係も無さそうだしな、美人を紹介してもらえるわけでも無さそうだ。全く、何でこんなヤツを命張ってまで助けてしまったんだろうと今では後悔し―――どわッ!」
 

 こんなロマンテックな雰囲気をぶち壊すように、絶景に惹きこまれながら爽やかに語る俺の脇腹に、女の子は思いっきりローキックをかました。大した威力はない一撃だったが、バランスを崩すには十分の衝撃で、倒れそうになりながらもなんとか体勢を立て直した。
 

 その一撃で、俺は冷静になる。
 

 さっき俺は何と言った? なんだか物凄くまずいことを言ってなかったか? 下手すればこれ、殺されるんじゃないか?
 

 冷や汗を滝に様に流しながら女の子に向き直り、自分の過ちを弁解しようとしたが、女の子の顔を見た瞬間それが無駄だと言う事がわかった。
 

 「そう言うと思った」
 

 そう呟いた女の子は、妙にスッキリしたような、嬉しそうな顔をして、俺が見ていた景色を見ていたからだ。
 

 朝焼けに照らされながら風になびく銀色の髪はやっぱり美しく、初めて見たその微笑みに良く似合った。ボロボロの黒ローブから覗く傷ついた白い肌より、ずっとその顔に惹き付けられ、思わず見惚れてしまった自分が情けない。
 

 まるで俺がそう言うとわかっていたような、そんな口振りだったが、その口調は『自分の予測が当たってよかった』と、何故かそう安堵したような物だった。なんだか試されていたような気もしてくる。
 

 とにかく、女の子は怒っていなかった。俺は女の子の期待に答えられたかどうかは別として、怒らせるような回答はしなかったようだ。
 

 「ああ、俺はそういうヤツだ。ついでに言うと、次の町までは一緒に居させてもらうぞ。そのチビドラゴンに地図を食われて右も左もわからん」
 

 威張って言ってやったが、女の子はこっちを見ない。ただただ朝焼けを見ていた。
 

 今までに無い雰囲気に、俺は次なる行動を起こせずにいた。どうすればいいのかわからないのだ。
 

 「あー・・・・・・っと、そうだ、そのチビドラゴンには名前をつけてやったのか?」
 

 「チド」
 

 どうせ返答は無いだろうと思いながらも、何か話さないとこの空気に押しつぶされてしまいそうだったから、女の子に寄り添うチビドラゴンを指差すと、女の子は朝焼けを見たまま考える素振りも見せずに即答した。ビックリだ。
 

 チドか、ネーミングセンスをちょっと疑うが、分かりやすくて良い名前だと思う。でも、チドか、やっぱり微妙な名前だ。
 

 改名を申請してやるべきか迷ったが、せっかく女の子がつけてやった名前だし、チドも満更では無さそうに『キュウ!』と鳴いていたため、俺は黙認した。
 

 「ついでだから教えておくが、俺はファズって言うんだ。よろしくな」
 

 流れに乗って、さり気なく俺の名前も教えておくが、今度は流石に返事が無い。
 

 「・・・・・・メリル」
 

 無いと思ったが、予想外にも、女の子はそう呟いた。
 

 「ああ、そうか、メリル・・・・・・メリルね、いい名前だよ」
 

 悉く、今までに無い振る舞いをする女の子―――メリルに、俺は慌てを隠せない。何だかんだ言っても、俺は女性が苦手だった。何を話せば良いのか分からないのだ。黙ったままの方が楽だったかもしれない。
 

 そう思ってしまったからとは言わないが、またメリルは黙り込んだ。というか、自分からは何も話そうとはしないようだ。俺の言葉に『メンドクサイが答えてやるか』くらいの気持ちなのかもしれない。
 

 それでも、俺はメリルによほどの好印象を与えたのだろう。そうでなければ、俺に名前を教えてくれるはずも無い。でも、メリルはそれでいいのだろうか。俺が見返りを求めて助けてやったと自白した、そんな不純な動機で助けられても、印象は良くなるものだろうか。
 

 きっとこれは俺がいくら考えてもわからないのだろう。メリルは外見から内心まで、何もかも普通では無いから。そんなメリルの事を、普通の男である俺がわかってやれるわけも無い。
 

 「・・・・・・やっぱり」
 

 メリルがちょっと考え込んだ後に呟き、振り向いた。
 

 「傷薬、貰う」
 

 ほらみろ、また訳の分からない事を言い出した。
 

 痛いなら最初から痛いと言っておけばよかったんだ。当時は妙に感傷的で、可哀想とか痛そうとか思っていたが、冷静になった現在はそんな事を思っていない。誰か分けてやるものか、これは本当に高級品なんだ、冗談じゃない。
 

 心底そう思ったが、俺の目を直視するメリルの何を考えているのか分からない怖いほど透き通ったその瞳に、逆らえるはずも無かった。
 

 「・・・・・・ん、わかった、わかったよ。でも俺が塗るぞ、これは本当に高いんだからな」
 

 やっぱり傷薬の事は内緒にしておけばよかったと思いながらも、俺はポケットから取り出した小瓶に入った傷薬を、両手を突き出してくるメリルの傷に余すことなく塗ってやった。

 

 

 

 

 

 

 

 メリルはきっと、人生全てを一人で楽しむタイプだ。一人で食事を取りその味を堪能したり、一人で音楽鑑賞をして一人で感動し一人で涙するのだ。きっとそんなタイプの人間だ。

 

 それが悪いとは言わない。ただ、俺とは合いそうに無い。

 

 なにも俺が、まずい食事でも皆で取れば美味しく感じたり、どんな雑音でも皆で鑑賞すればロックのように聞こえるような、友達とさえ居れれば何でも楽しいと感じるほど人間愛に溢れているわけでもない。

 

 皆で分かち合える喜びなら分かち合えば良いし、助け合える事があるなら助け合えばいい、ただそう思っているだけだ。その方が楽しくて、楽だと思っているから。

 

 でも、きっと、この考えは、俺が心身ともに弱いから生まれてくる物なのだ。一人で生きていくのが困難な、弱い人間にのみ生まれてくる感情なのだ。 

 

 メリルはとても強いのだろう。だから、一人でも生きていける。一人で生きていった方が楽で楽しく感じる。

 

 俺は俺の考えをメリルに押し付けるつもりは毛ほどもないし、メリルのように強くなろうとも思わない。

 

 ただ、俺は俺のためにメリルに歩み寄ってみようと思う。

 

 俺は一人では生きていけないから、一人では楽しくないから。

 

 俺は俺のためにメリルと仲良くなって見せる。

 

 

 

 そして、俺は忘れていた。

 何故メリルが大犯罪者と呼ばれているのか、その理由を。

 その罪状を。

inserted by FC2 system