隣に座り込むのも何だか少っ恥ずかしく、正反対に座るのも変なので、そのどっちでもない真ん中辺りに座ってやった。
 

 丘と呼べるほどではないが、他より少しだけ地盤が高いようで、周りが良く見渡せる。更に、大きな樹冠に阻まれ日差しが差し込まず、肌寒いと言えるほど涼しい。歩きつかれた身体を癒すには最適の場所だった。
 

 改めて辺りを見渡すが、やっぱり草原だ。ずっと遠くに山や森が見えるくらいで、町や村は全く見えない。
 

 もしかして、メリルはトレジャーハンターだったりするのだろうか? この大草原の何処かにお宝が眠る遺跡か何かがあるとでも思っているのだろうか? ならば教えてやらねばならない、この辺りには確かに遺跡があるらしいが、学者や遺跡荒らしに荒らされすぎた遺跡は、今はもう観光名所にもならない古びたモンスターの巣になっているのだと。
 

 「マスター」
 

 いざ、勇気を振り絞りメリルに警告をしようとした時、シギが俺を呼んだ。
 

 「ん?」
 

 「何やら妙な気配がしませんか?」
 

 「・・・・・・わからん」
 

 シギの声は真剣そのものだったが、気配とか言われても、俺はそこまで熟練した剣士じゃないのでそんなものは耳を澄まそうと鼻を鳴らそうと一切感じない。
 

 感じるのは肌寒さと澄んだ空気の心地よさくらいだ。
 

 「いえ、やはり何か居ます」
 

 注意を促すシギの声に、俺は少しだけ危機感を覚え、辺りを見渡す。
 

 でも、モンスターはおろか動物すら見えない。
 

 シギの勘違いだろうとも思ったが、シギにはやたら迫力と言うか、説得力と言うか、信頼に値するものがあるので、無下には出来なかった。
 

 辺りを見渡しながら俺も必死にその気配を感じ取ろうとしたが、やっぱり何も感じない。仕方なく、この辺に居そうで、変な気配を発しそうで、かくれんぼが得意そうなモンスターを考えてみたが、思いついたのは全く別の物だった。
 

 「ああ、そういえば・・・・・・」
 

 この辺には確か珍しい噂があった。シギの鋭い直感と特性がアレを感じたのかもしれない。
 

 でも、本当にアレなら大発見である。ちょっとだけウキウキしながらシギにそいつの話をする。
 

 「あんまり信憑性の無い話なんだけどさ、この辺って妖精が出るらしいんだよ。もしかしてその気配を感じたとか」
 

 妖精とは、フェアリーとも呼ばれる他種族である。
 

 非常に小さく、ひ弱で、人の形をしている妖精は、背中に蝶の羽があるのが特徴。魔法の知識は豊富で、使用できる魔法も多彩であるとは聞くが、そのサイズから威力は高が知れている。だから集団行動を欠かさず、多数での合体魔法を使うらしい。そして、その全てが美男美女であると言うが、俺は実物を見たことが無いので、どれが嘘でどれが本当かもわからない。ちなみに、男女の割合が一対九とも聞く。妖精の男は、男であるだけでモテると言うのだから、羨ましい限りだ。きっと恐らく、一夫多妻制度なんだろうな。羨ましいを通り越して妬みすら覚えてしまう。
 

 噂が事実かどうか確認しようにも、まるで人間が避けられているかのように妖精は滅多に現れてくれない。まぁ、会えたからと言って言葉が通じるかどうかもわからないのだが。
 

 そんな、きっと、メリル並みの可愛さを誇る妖精さんがこの近くに隠れているかもしれない。そして、それをシギが感じ取ったのかもしれない。ロマンチックじゃないか、こんな優雅で壮大な原っぱのど真ん中かどうかはわからないけどもまぁど真ん中と言う事にしておこう大きな木の下で、見るだけで幸せになれると言う森の女神に出会うことが出来るのかもしれないのだ。 

男の妖精なら、捕まえて売っぱらってしまおう。
 

 「気配の正体が妖精と言う可能性が無いとは言いませが、油断はしないでください」
 

 胸どころか身体全体を躍らせそうな俺を余所目に、シギは警戒の姿勢を崩さない。
 

 「そんなこと言ったってなぁ。メリルはどう思う?」
 

 俺が何を言っても攻勢を崩さないだろうシギから半分逃げるように、さっきから黙って座り込み時折擦り寄ってくるチドを小突いているやっぱり読めないメリルに声をかけるが、返答は帰ってこなかった。
 

 まぁ、いいけどさ。
 

 「それに、たとえこの気配の正体が妖精だとしても、彼らが攻撃を仕掛けてこないとも限りません」
 

 「おいおい、何言ってるんだ。妖精だぞ?」
 

 シギの言葉に、少し怒った様に反応してしまう。夢にまで見る妖精さんの悪口を言われたのだから仕方が無い事だ。
 

 おとぎ話などで主人公の手助けをする健気な妖精さん、森の平和を守る心優しく可憐で綺麗な妖精さん、そんな妖精さんが人を襲ったりするものか。逆に、『まぁ素敵で頼もしそうなお客さんねいらっしゃいチュッ』とかされてしまうかもしれないのだ。女性と手を繋ぐどころか最近はまともに会話すらしていない俺が、チュッなんてされたら確かに死活問題だが、まぁそういう死に方なら悪くない。
 

 それに、噂では妖精は人間に幸福をもたらしてくれると言う。具体的にどんな事をしてくれるのかまでは分からないが、これから先の不幸を全部吸い取ってくれたり、金運や恋愛運をアップさせてくれたりするのだろう。物理的な幸福ならば、魔法でパパッと愛剣を直してもらいたい。手料理とかでもいい。
 

 「・・・・・・そういえば、腹が減ったな」
 

 「マスター・・・・・・」
 

 「仕方ないだろ、どっかのちっこいのに食糧全部食われちまって、あれから何も食べてないんだから」
 

 どっかのちっこいのを横目で見ながら嫌味ったらしく言うが、当人は楽しそうにメリルにじゃれていた。本当に楽しそうだ。
 

 今や焼け野原となっているだろうあの町から俺は何も食べていない。食い貯めたため、腹が鳴るほどではないようだが、それでも空腹感を感じ始めている。人間は一日三食ちゃんと食べなきゃいけないのに、このままじゃ一日一食も危ういだろう。一度栄養失調で倒れてから、食事には気を使おうと決めたと言うのに。
 

 こんな大草原に果実の生る木があるわけも無く、かと言って食えそうな生物が居るわけでもない。雑草くらいしか食えるものが無いのだ。この景色が後何日も続くようなら、栄養失調どころではなく餓死してしまう。いざとなったら本当にあの黒い塊を食ってやろう。
 

 「メリルも確か道具袋に食べ物詰めてたよな、頼めば分けてくれるかな」
 

 「私は真剣な話をしていたつもりなのですが」
 

 厭きれたように言うシギは、栄養補給を必要としないからこの重大さが分からないのだ。
 

 「道具袋をどうやって強奪するかも大事な事だぞ。じゃないと人間である俺は餓死してしまう」
 

 「優先順位を違わないでください。人間は一週間何も食べなくとも生きていけますが、首を刎ねられればそれまでです」
 

 サラッ言われた最悪な未来に顔をしかめるが、間違ってはいない。
 

 確かに、メリルの隙を狙い無事に道具袋を強奪出来たとしても、守り抜く自信も逃げぬく自信も無い。冷酷で残酷なメリルから荷物を強奪するなんて大胆な事をすれば、首が刎ねられるどころか五体バラバラだろう。ならば、素直に土下座でも何でもして食べ物を分けてもらう方がいい。幸い、俺はこれ以上低くなるプライドは持ち合わせていない。
 

 「・・・・・・」
 

 無視された。思考は読まれているはずなのに。まるでメリルのようだ。いや、表情が見えない分メリルよりタチが悪い。
 

 「それでな、メリルからどうやって食糧を盗むかだけど、作戦はちゃんと考えてあるんだ」
 

 「・・・・・・」
 

 「まず、シギを木の上に置いて、メリルに声をかけてもらう。そして、メリルがその声に気を取られて上を向いている隙に道具袋からいくつか食糧を俺が盗み出すんだ。どうだ、完璧だろう」
 

 「・・・・・・」
 

 「完璧だよな?」
 

 「・・・・・・」
 

 もう限界だった。
 

 「ごめんなさい、モンスター探しましょうか」
 

 誠意を込めた土下座で許しを請う。いくら話しかけても無視されるこの寂しさはメリルやシギにはわからないだろう。俺だってそれなりに寂しさに弱いのだ。
 

 それに、モンスターなど剣であるシギには何の脅威でも無いだろうに、ここまで真剣になるのは俺やメリルのためなのだろう。そりゃ、自分の足が無くなると言うのもあるだろうが、それでも俺達の身を気遣ってくれていると言うのには変わりない。それをふざけて流そうとした事を反省しているわけでもないが、ちょっとくらい真面目に取り合っても悪いことは起きないと思う。
 

 「なるほど、マスターは黙殺に弱いのですね。それからこの会話は確実にメリル様の耳にも届いているはずなので効果は無いと思います」
 

 ちょっと楽しそうに余計な事を会得したシギは、やっぱり正確で的確な指摘をしてくれた。
 

 ここからメリルの姿は見えているのと同じように向こうからも俺達が見えているだろうし、鳥の囀りすら無いこの場は良く音が通る。メリルにじゃれるのに飽きたのか、それとも突き放されたのか、チドが今度は爪でガリガリと大樹を傷つけながら上ろうとしている音までハッキリ聞こえるほどだ。なのに、聞こえない振りをしているのか返答するまでも無いと思っているのか、全く反応せず黙って虚空を見ているメリルは、食糧を分けてくれる気など微塵も無いのだろう。
 

 「でも、本当にモンスターが居たとしても俺一人で勝つ自信は無いぞ」
 

 「マスターの弱さは把握済みです。私の能力で補えば、中級モンスター一体くらいなら勝てるでしょう」
 

 自虐なら何とも無いが、他人にそこまでハッキリ言われると傷つかない事も無い。胸が痛い。
 

 でも、そこまでハッキリ言えるという事は、シギは自分の能力に相当な自信があるのだろう。

 一度使ったくらいじゃシギの使い勝手は分からないし、無抵抗だったブラックガーゴイルに立った一撃を加えただけなのだから尚更だが、衝撃を抑えられると言うのは大きいかもしれない。

 衝撃を抑えられると言う事は、防御時の衝撃が軽く反撃に素早く移る事が出来るということで、それだけでもかなり大きな利点なのだが、シギ自体が軽いのでそのスピードも格段に上がり、攻撃時もかなりのメリットになる。
 

 これらの事から、シギに頼れば俺は並の冒険者より数段強く慣れるのだろうが、それだけでは俺一人で中級モンスターに勝てるとは思えなかった。愛剣並みの切れ味があれば話は別だが、ブラックガーゴイルを斬りつけた際、通常の剣よりは切れ味はいいと感じたが、言っては悪いが愛剣ほどではないと思えた。
 

 確かに、ブラックガーゴイルを斬った際に腕へと伝わる衝撃は少なかった。だがそれは、シギの衝撃を抑える能力と言うヤツで、単純な切れ味ではない。もっと硬いモンスターだったのなら、剣が弾かれていただろう。それに比べ、愛剣であれだけの力を込めて斬りつければ、単純な切れ味だけで豆腐を斬るようにスパッと斬れていたはずだ。やはり、その違いは大きい。頑丈な皮膚を持つかもしれないモンスターに、軽快さと防御力アップだけではやっぱり勝利するには難しそうである。
 

 大体、あの時はメリルがブラックガーゴイルの注意を惹いていてくれたからあそこまでパーフェクトにが斬撃決まったのだ。一対一の戦いで相手の動きを先読みし、見切り、見事に剣を突き刺す事が出来るなんて思えない。
 

 何か秘策や別の能力があったりするのだろうか? あってもらわなければ困る。死んでしまう。
 

 これから身に起こるであろう苦痛に溜め息を吐きながら立ち上がる。
 

 「まぁ、もしも妖精だったら大発見だからな。探してみる価値も―――」
 

 「マスター! 上です!」
 

 俺の言葉を遮る切迫したシギの叫び、残念ながら俺はそれに瞬時に対応できるほどの反射神経を持ち合わせていなかった。
 

 「死ねぇえええッ!」
 

 頭上からそんな声が聞こえる頃には、どうにか上を向く事が出来ていた。だが、それだけだ。
 

 大樹から電光石火の如く降り掛かる何かをシギで受け止めようと思考が働いた時には、もうそれは俺の胸に突き刺さっていた。その衝撃と事実から、俺はその場に仰向けに倒れこむ。
 

 「・・・・・・?」
 

 が、五感は依然として正常に機能していた。

 抉り回される様な激痛が走る胸に視線を移すと、そこには一本の針が突き刺さっていた。丁度心臓の真上なのだが、針の長さが足りなかったのか俺はピンピンしている。
 

 「ぬ、抜けない・・・・・・」
 

 抉られるような痛みについては、きっと毒などそういうものではなく、情けない声をあげた手のひらサイズの人形生物が針を抜こうと、老いた魔女が紫色の液体が入った鍋を掻き混ぜるように、グルグルグルグル針を回しているからだろう。
 

 「こ、こらお前! いきなり何するんだ!」
 

 怒鳴りながらチドよりチビな生物を掴んで起き上がる。
 

 「触るな人間! 汚らわしい!」
 

 「汚らわしいって何だ汚らわしいって! 確かに風呂に入ったのは四日前だけど」
 

 「うわッ! ホント触んな!」
 

 暴れるそいつを無視して、空いている手で針を引き抜く。
 

 深く刺さっているだろうと予測していたのだが、針はあっさりと抜けた。襟を引っ張り地肌を覗いて見たところ、針の先っぽだけが何とか俺の胸に刺さっているだけのようだった。冒険者用の丈夫な服を貫通するだけでもいっぱいいっぱいだったんだろう。だが、抉られたせいもあってか出血は激しい。恐らく、蚊に血を吸われる量より多いだろう。
 

 さっきからシギが一言も話さないのは、こんなマヌケな暗殺者に厭きれているからなのだと思う。あれだけ騒ぎ立てておいて、当の『敵』がこんなのじゃあその気持ちもわかる。
 

 「で、何なんだろうな、この小さいの」
 

 ちょっとした事で折れてしまいそうな小さな首を持ったままクルクルと回す。
 

 「マスターが待ち望んだ生命体だと思いますが」
 

 「無い無い」
 

 シギの力無い答えを俺は断固として否定した。
 

 燦爛とするような雰囲気を持ちながらも質素な布地を纏っているこの生物は、人間なら女として称呼される性別なんだろうが、この場合は雌と言うべきだろうか。握りつぶせそうなほど小さい背中から生えている、半透明な羽根を突付くとふわっとするような不思議な感触がした。
 

 「触るな!」
 

 だが、違う。こいつは違う。俺が待ち望んでいた者とは全く別物だ。
 

 髪型はショートヘヤーに妙に似合う可愛らしい顔立ちと活発な性格。活発と言うか、実際かなりアグレッシブなのだが、その可愛らしい容姿から活発と言う控え目の表現で我慢出来ていると言っていい。そんな妥協に妥協を重ね可愛らしいと言ってもらえるようなヤツが妖精さんな訳が無い。
 

 妖精と言うのはもっと優雅で典雅な存在なのだ。変な同行者の所為で心身ともに疲れ果てている旅人に水の一杯でも持ってきてくれたり、社交辞令ではない本心からの慰めの言葉をかけてくれたりするのが妖精と言うものだ。
 

 決して俺の命を狙う事など、ましてや、その方法が毒も塗ってない針で心臓を突き刺すと言う成功率一パーセント未満の馬鹿でも思いつかない馬鹿みたいな方法を実行したりするはずがない。
 

 ああ、違うさ、こいつは妖精さんなんかじゃない。きっとモンスターの一種だ。それか、虫だ。
 

 「キュウ!」
 

 いつの間にか隣に居た黒玉が高い鳴き声を挙げた。
 

 「チドから近づいてくるなんて珍しいな、コレがお目当てか?」
 

 「キュウ!」
 

 摘んだ虫をチドの目前で揺らすと、おもちゃを欲しがる子供のように瞳を輝かせ、嬉しそうな鳴き声を挙げる。
 

 「ちょ、ちょっと! そのドラゴンどっかやって! 近づけないでってば! イヤァアアアア!」
 

 正反対に、虫はチドを遠ざけようと腕を振り回し大声を上げ、まさに阿鼻叫喚状態だったがチドから遠ざけてやる気は起きなかった。命を狙われたと言う事もあり、こんな虫に同情の意が湧かなかったからだ。
 

 それにしても、何がそんなに嫌なのだろうか。少なくとも、見た目だけはこんなに可愛いのに。
 

 「そのドラゴン、さっきからあたしの事を変な眼で見てくるのよ!」
 

 「・・・・・・」
 

 ちょっと悩む。
 

 「・・・・・・メリルの事もあるからな、発情期なのか? 俺に懐かなかったのも納得できる」
 

 「違う! ギラギラとした野生の眼!」
 

 食欲に任せたモンスター精神直情が目に出ていると言う意味だろう、よく見るとチドの口の端に涎が垂れている。こんなへんてこな虫を食おうと思うほど腹が減っているのか、俺のパンを根こそぎ食い尽くしておいて・・・・・・本当に厚かましいヤツだ。
 

 「こんな変なもの食うと腹壊すかもしれないぞ。お前はメリルに気に入られているから、頼めば食べ物貰えるんじゃないか?」
 

 言葉だけでは通じないだろうと、メリルを指差してながらパンを食べる仕草をするなどのジェスチャーで、チドに言っている事を伝えようとするが、俺のジェスチャーが悪いのかチドの頭が悪いのか、やっぱりクエスチョンマークを浮かべ首を傾げている。
 

 正直な所、こんな虫チドの餌になろうと珍しい物好きのおじさんに売りつけようとどうでもいい話なのだが、その前にちょっとだけ知りたい事があった。それは当然、この辺りの地理だ。
 

 もしこの虫が近くに町があることを知っているのなら、それを聞き出しておきたい。この辺りは人間に干渉されておらずモンスターが多いと言うのは前に述べたとおりで、町までたったの数日で辿り着けるとしても、その間慣れないシギで生き延びれる確率は決して高くは無い。出来ることなら町までメリルに付き纏いたいが、いざ置いていかれた時の保険として、どの辺りに町があるかを把握しておきたいのだ。
 

 それを聞き出すまでは生きていてもらわないといけないので、少なくともチドに今すぐ食わせてやるわけには行かなかった。それに、形だけでも『人』の生物を目の前で食われるのは、やっぱりいい気分ではない。
 

 「そんな目をしてもコイツはあげないからな。俺が獲ったんだから俺が食うんだ」
 

 物欲しそうな目をするチドを諦めさせるため、届かない高さまで腕を上げて食いつかれないようにすると、チドはとても悲しそうな目をした。それがまた可愛くて、もう本当にこの虫を食わせてやってもいいような気もしてくるから本当に困るのである。
 

 「ははは放せ放せ放せぇ! こんな金も地位も能力も無く周りに迷惑ばかり掛けていそうでまさに存在意義が全く無いような馬鹿面の冴えない人間風情に食われて死ぬなんてやだぁ!」
 

 反対に、顔を真っ青にした虫は必要以上に俺を罵り更に暴れだした。
 

 この虫はもしかしたら、俺に食われたいのかもしれない。助けてやろうとしている慈悲深い俺をわざと挑発し、ぱっくりむしゃむしゃ食べて貰いたいのかもしれない。取れ立て新鮮な魚が暴れるのと同じようなものだ。もしそうなら、俺はこの虫を絶賛してやろうと思う。何故なら、俺はその罵倒に針より深く胸を抉られ、まんまと挑発に乗せられたからだ。
 

 「ふへへへ、せめてどんな風に料理されたいかくらいは希望を聞いてやる。煮るか? 焼くか? 生がいいか? ちなみに俺は生け作りも好きなんだ。わざと生かしたまま身体を引き裂き、新鮮な肉を少しずつ剃って食べていく。最後の最後まで決して殺さず、新鮮な味を保つのがミソだ」
 

 「来るな来るな来るなぁ!」
 

 こんな虫の調理法なんて聞いたことも無いし、人の形をした生物を食うのは何にしてもいい気分ではなく、これっぽっちも口に入れる気は無かったが、暴言の仕返しにちょっと虐めてやろうと、ソレっぽい話を怪しくした所、虫は予想以上に狂乱してくれた。ここまで思い通りになると爽快だ。
 

 暴れたからといって、片手で掴める様な生物が逃げ出す事など出来ることも無く、徒労に終わるのだが、虫は諦めず暴れまわる。チドの目にはそれがどう映るのか、又も瞳を輝かせている。
 

 「この辺りに町は無いのか? 答えたら、心臓目掛けてこんな針で他に何の策も無く突進するという無鉄砲だが結構痛かった恥ずかしい作戦を全部忘れて助けてやろう」
 

 大人な俺はとりあえず過去の事は置いといて、本題を聞きだすことにした。
 

 「何でそんな事言わなきゃなんないのよ、さっさと放しなさいタコ!」
 

 大人な俺はもうそんな挑発には乗らない。
 

 「いいから言えよ、何でお前はそんなに小さいんだ? 身体だけでなく胸まで小さいのは何でだ?」
 

 「身体だけでかくて脳ミソが豆粒以下の人間にはわからないでしょーね」
 

 「虫のくせにお喋りだな、米粒以下の脳がよくそこまで働くもんだ」
 

 「アタシが虫? 何いってんの? アンタには脳があるかどうかも怪しいものね」
 

 「脳が無いならどうやって思考するんだバカ」
 

 「そんな事も考えられないなんて本当に脳が無いのね、バーカバーカ」
 

 「マスター、私が話しましょう」
 

 冷静な話し合いをしている所へシギが呆れた声で横槍を入れる。
 

 断る理由も見つからないし、シギの交渉に興味が湧いた。何せ両者とも人間ではなく、下手すればモンスターと間違われてもおかしくない生物だ。そんな彼女らの会話を覗き見たいと思うのはおかしくない事だろう。
 

 と言うのはシギ対策の上辺思考。実際は大声で助けを求めたいほど、一秒でも早く変わってもらいたかった。表情に出さないように、相手に感じ取られないように必死になって虫に反抗してきたが、内心はもう、美少女からの猛罵倒でボロッボロだ。
 

 元々喧嘩は好きな方じゃないし、知り合い同士の喧嘩は見ているだけで胸がチクチクする。どっちが正しいか、お前はどっちの味方になるのかなんて問われた日には、走って遠くへ逃げたくなる。だから今まである程度当たり障りの無いようにして来たのだが、ここまで攻撃的なヤツは初めてだ。当然、ここまで冷静ながらも殺伐とした激しい口論を繰り広げたのも初めてで、よく舌を噛まなかったなと我褒めしたい。男相手ならまた感想も違ったんだろうが、やっぱり異性相手の喧嘩というのはナイーブな俺にとってかなりダメージが大きい。本当に大きいのだ。
 

 「任せた・・・・・・もう俺は嫌だ」
 

 決して虫には聞こえないようにそう言い、虫をシギに近づける。
 

 「な、何よ・・・・・・」
 

 得体の知れない未知なる生物に、流石の虫も言葉を詰らせている。
 

 「あ、アンタ精霊? 何で人間が作った物何かに捕らわれてンの? それとも、宿石ごと剣に生成されたのかしら? どっちにせよ下級精霊でもやらない失態よね、その辺の微霊と同等じゃない。そんなゴミ同然の精霊が高貴な妖精のアタシに何を―――」
 

 「黙りなさい」
 

 恐怖から数倍滑舌になる虫の挑発に乗ることも無く、シギは迫力のある一言で辺りに静寂を呼ぶ。関係の無い俺でさえゾクッとした。
 

 「今からいくつか質問をします。その答え以外の言葉を話すと容赦無く切り刻みます」
 

 「う・・・・・・」
 

 数秒間を空けて、ゆっくりとした口調で虫を脅迫する。虫は息を呑んで黙り込んでしまった。
 

 表情が無い分演技か本気か全く見当が付かない。もしも本気で殺す気ならば、剣であるシギが独りでに動けるわけもなく、虫が何か余計な事を話した場合、結局外見はまぁまぁ可愛い人形の虫を斬るのは俺なのかなぁと考え、気が沈む。
 

 「では、質問をさせていただきます。ここから一番近い町や村は何処ですか?」
 

 「知らない」
 

 平常に戻って俺がしたかった質問をするシギに、まだ少し青い顔をしている虫がそっぽを向きながら答える。
 

 少しだけ威圧するような空気をシギから感じ取ったが、虫が人間の町を知らないのは仕方がない事としたのか、質問を続けた。
 

 「では、この辺りに人間が居そうな所は何処ですか?」
 

 「知らない」
 

 「貴女の家は何処ですか?」
 

 「知らない」
 

 「何故貴女はここに居るのですか?」
 

 「・・・・・・知らない」
 

 あくまでシギは冷静に質問を続けたが、挑発しているのかその全てをそっぽを向いた虫に同じ言葉で返された。そろそろ『切り刻め』とか言われてしまうんだろうかとドキドキする。
 

 例え、虫が人間関連のことを一切知らないとしても、自分の家や何故ここに居るのかくらいは知っているだろう。それを今までと同じように『知らない』の一言で返すのは、シギを挑発していると見られても文句は言えない。
 

 「マスター」
 

 「はい」
 

 平常な声だけに、次の台詞が怖かった。
 

 「この妖精はどうやら迷子のようですね」
 

 だが、予想外にもその言葉に残虐性は無く、哀れみの篭った物だった。
 

 「迷子じゃない! 群れを先導してたらいつの間にか皆が居なくなってただけよ!」
 

 怒って顔を真っ赤にしながら否定する虫だが、それはどう考えても典型的な迷子だ。
 

 でも、おかしいな。妖精は移住を滅多にしない生き物だと聞いている。豊かない森を守り、育みながら何百年もの生涯を生まれ育ったその地で終えるのだと。いや、こいつを妖精と認めたわけじゃなくて、妖精だと仮定しての話だけど。
 

 「直接聞いてみれば諦めもつくと思いますが」
 

 思考を盗聴しているシギにそういわれるものの、俺はゆっくりと首を振る。
 

 だって、『君は妖精かい?』なんて聞けるわけが無い。そんな馬鹿らしいこと聞けるわけが無いじゃないか。というか、聞きたくないんだ。さっきチラッとこの虫が自分を妖精と言った事も、シギがすでに妖精扱いしている事も、全てスルーしたいのだ。この虫が妖精だとしても、妖精じゃなかったとしても俺が涙を見ることは明らかなのだから。
 

 例えば、この虫が本当に妖精だったとすると、今まで聞かせられた可憐で優美という妖精象をバラバラに砕かれ、足がガクガクしそうになるほどのショックを受けた挙句、楚々で雅やかな妖精と仲良くなると言う旅の目的を一つ失ってしまう事になり、これから先の楽しみが減ってしまう事になる。妖精じゃなかったとしたら妖精じゃなかったで、この虫の性格からして、きっと笑われる。大爆笑だ。私が妖精? ぎゃははははははは、アンタ馬鹿じゃないの? 目が悪いの? そっか、頭が悪いのか、ぎゃはは。なんて嫌味を延々と聞かされるハメになるのだ。そんなどっちへ転んでも地獄な選択を出来るわけが無いじゃないか。まぁでも、確かに気になるさ。コイツが本当に妖精なのかどうか気になるさ。もし妖精なら、そのときのショックを全世界の子供達にも味あわせてやろう。今後の教訓のためにも、世の中の苦さを教えてやるためにも妖精の本性の全てを旅先の夢と希望に溢れる子供達全員に聞かせてやる。大人にも聞かせてやる。
 

 だから、だからなシギ。俺に代わりに聞いてくれ。
 

 「・・・・・・・・・・・・貴女は妖精ですか?」
 

 「はぁ? アンタ今更何言ってるのよ。当然でしょ? さっきアンタ自身言ってたじゃないの。アハ、もしかしてもう忘れちゃったとか? やっぱ微霊は頭の出来が違うわねー、すごいすごい」
 

 厭きれながらも聞いてくれるシギを、脅迫の仕返しとばかりに貶す自称妖精。
 

 思えば、そんな馬鹿らしいことをこんな嫌らしい虫に聞くなんて、その羞恥は罰ゲームを通り過ぎて拷問にも近い。シギは外聞を気にしないヤツなのかどうかわからないが、本当に良く聞いてくれたなと褒めてやりたい。でも、それよりもまず、俺を飲み込むこの失望感を何処かへ発散させたい。
 

 こんな憎たらしい虫が妖精と言う予想を遥かに上回った事実は、想定以上のショックを俺に与えていた。特に俺が妖精に何か思い入れがあるのかと聞かれても、そんなのは覚えていない。でも、俺の中の妖精像は女神を絵に描いたような、そんな存在で、何故だったか、いつだったか、記憶の片隅にも残っていない何かが、その肖像を揺ぎ無いものとしていた。もしかすると、妖精像なんて本当はどうでも良くて、妖精像が崩れ去ったと同時に関連する全てが崩れ去ったかのように感じ、その関連物に思い入れがありショックを受けているのかもしれない。何にしても、この絶望を誰か取り除いてくれ。
 

 「マスター、そろそろこの妖精の処置を決めてはどうでしょうか」
 

 「・・・・・・処置?」
 

 シギの声に振り向く気力も無く、うな垂れたまま聞き返す。
 

 「ええ。やり方はどうあれ、発言から命を狙った事は間違いありません。聞けるだけの情報は聞き出しましたし、それなりの処決を」
 

 英明と言うべきか、非情と言うべきか、シギの声に冗談の色は全く見えなかった。
 

 確かに、命を狙われた以上又同じように狙われないとも限らないし、必要な情報を全て聞き取った以上、生かしておいても俺達に何の得も無い。友好的で協力的な迷子であれば、一緒に打開策を見出そうと言う気にもなり、早く町を見つけ出す事も出来るかもしれないが、この有様だ。害はあっても得になることは全く無いと言っていいだろう。感情論の無い損得勘定の結果でこの妖精を殺すと言うのなら、それは非情でありながらもとても英明な判断だと俺は礼賛してやる。してやるが、その一言で必死に平常の表情を保とうとしてはいるが、身を硬くして怯えきった手の中の小さな生物を俺が殺せるかどうかはまた別の話だった。
 

 自慢じゃないが、俺はまだ一人も人を直接殺した事は無い。でも、賞金首や盗賊なら何人か捕らえ、ギルドに引き渡した事もある。その後、そいつらがどんな目にあったかは知らないが、そのうちの何人かは大量殺人犯で、きっと死刑になってしまったヤツも居ただろう。そういう意味では、俺も人を殺している。でも、それでも俺はこの手で人を殺した事など無い。山賊に襲われ、斬り合いになった時に誤って相手の腕を深く傷つけてしまった事もあったが、やっぱり良い気分では無かった。そんな、最初はモンスター狩りでさえ戸惑った小心者の俺が、サイズ以外人と変わらない妖精を殺せるわけが無い。
 

 賞金首狩りや賊退治なんかもこなすモンスターハンターという職業。こういう理由もあり、俺はきっと殆どのパーティーからこれからも除け者にされてしまうんだろうなぁ。なんて、ちょっと思う。
 

 「マスター、勘違いをされているようなので言っておきますが、何も殺せとは言っていません。ただ、このまま開放すれば又襲ってくるかもしれませんので、早めに縄で木に縛り付けるなり、気絶させるなり、あの女性が見えなくなる前に実行した方がよろしいのでは無いかと言っているのです」

 言っている事を良く理解出来ないでいたが、とりあえずメリルが座っていた場所を見る。木を背に座り込みボーっとしているように見せかけながらも、その鋭い感覚をいつも研ぎ澄ましているボロボロの赤黒いローブを纏った女の子の姿は、もう何処にも無かった。
 

 慌てて立ち上がり、ぐるりと周囲を見渡すと、ずっとずっと遠くに、黒い点が二つ見えた。ここからではそれがメリルとチドなのかも分からないほど遠い距離。随分前にメリルが歩いて行ったことがわかる。
 

 出発時に一言も掛けてくれなかったメリルと、出発に気づいていながらそれを気づかせないようにいつの間にか隣から姿を消していたチドと、せっかくの休息を台無しにしてくれた自称妖精と、わざと誤解しやすい台詞を吐き意識を思惟の彼方へと誘ったとしか思えないシギを憎らしく思いながら、開けた視界の大草原とそれを最大限活用できるちょっと高い地形に深く感謝して、慌ててメリルを追いかけた。

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