寝返りを打つと、頭に硬い突起物がぶつかった。この冷たさとゴツゴツとした感触、岩の上にでも寝っ転がっているのだろうか。
 

 

 「・・・・・・ん」
 

 

 起き上がりながら背伸びをして辺りを見渡すと、沢山の木々と木漏れ日が目に入った。どうやら森か山の中らしい。予想通り大きな岩の上で寝転んでいた俺は、何故こんな所に居るのか考え、何者かに殴られ意識を失った事を思い出した。
 

 

 寝返りを打つと、頭に硬い突起物がぶつかった。この冷たさとゴツゴツとした感触、岩の上にでも寝っ転がっているのだろうか。
 

 

 「・・・・・・ん」
 

 

 起き上がりながら背伸びをして辺りを見渡すと、沢山の木々と木漏れ日が目に入った。どうやら森か山の中らしい。予想通り大きな岩の上で寝転んでいた俺は、何故こんな所に居るのか考え、何者かに殴られ意識を失った事を思い出した。
 

 

 あの状況下で一番怪しいのはやはりあの虫であるが、非力で低脳なアイツに俺を気絶させる事が出来るとは思えない。後頭部の痛みに対する文句は言いたいが、何の拘束も無く丁重にも平らで汚れの無いダブルベッド並の大きさを誇る岩に寝かせてくれた犯人に、それほどの恐怖は抱かなかった。もしかして、照れ屋さんな俺のファンとかじゃないだろうか。
 

 

 「暢気な物ですね」
 

 

 「うわ!?」
 

 

 何処からか聞こえた声に、立ち上がりながら剣を構える。
 

 

 「私です」
 

 

 その声は手に持った剣から聞こえてきた。
 

 

 「ああ、なんだ。シギか」
 

 

 「はい。慣れていただかないと困ります」
 

 

 「急に声をかけるからこうなるんだ。声をかける前にまず何か言ってくれよ」
 

 

 「変わらないじゃないですか」
 

 

 呆れたように言うシギを鞘に収めながら、じゃあどうやったら俺が驚かずに済むか考えるが、やっぱり慣れるしかないだろうと結論付けられた。慣れるにはどれくらいの時間がかかるのだろうか。
 

 

 「それで、俺を殴ったヤツは何処だ?」

 

 出血はしていないが、ズキズキと痛む後頭部を撫でながらシギに訊ねる。
 

 

 「彼らなら、しばらくマスターを生かすか殺すかで論議していましたが、先ほど慌てて森の奥へ行きました」
 

 

 俺が死んでいたかもしれないというのに、シギはまるで他人事のように言い捨てた。そりゃ、他人事なのかもしれないけど。

 

 彼らと言う事は複数犯なのだろう。中には俺を殺そうとしているやつもいるようで、思っていたより優しいやつらではないようだ。論議を交わすほどの知能を持っていると言う事は、モンスターの類では無い。無いのだろうが、そいつらは相当な馬鹿と見える。

 

 どんな理由で慌てていたのか知らないが、せめて捕縛くらいしておくべきだった。これじゃあ逃げてくださいと言っているような物だ。
 

 

 「お言葉どおりさっさと逃げるとするか」
 

 

 何故こんな所に運んできたのか、どうして俺を生かしているのか、どんな理由で俺を殺そうとしたのか。犯人に聞きたいことは山ほどあったが、絶好の逃亡チャンスを見逃してまで聞こうとは思わない。

 

 低血圧で少しふらつく身体を起き上がらせて、岩から飛び降りようとした。

 

 「待ってください」
 

 

 シギから声が掛かったが数秒遅かった。
 

 

 「ふぐッ!?」
 

 

 文字通り岩から飛び降りようとジャンプした直後、顔面に硬い何かがぶつかった。鼻が潰れ、おでこを打ちつけ、後ろにすっ転ぶ。なんだこれは、見えない壁のような、分厚いガラスのような物が俺の行く手を阻んでいる。

 

 

 「この岩は結界で覆われています。内部からも外部からも易々とは壊せません」
 

 

 「もっと早く言えよ!」
 

 

 鼻をさすり、涙目になりながらシギに文句を言うが、特に悪びれた様子も無く何の返答も返さない。もう少しスピードをつけていれば確実に鼻血を見ていただろう。
 

 

 それにしても、俺一人を捕らえておくために結界とは奮発したものだ。
 

 

 魔法でも結界を張る事は可能だが、その場合術者が近くに居なければ結界が消えてしまう。術者が近くにおらず、結界が作動していると言う事は、この結界は何らかのアイテムで作られたものなのだろう。
 

 

 魔法アイテムと言うのは基本的に高く、その殆どが使い捨てで、一般人に売り出されることはあまりない。主に冒険者が最後の切り札として買ったり、戦争でどうしても勝たなければいけない場面にのみ兵士に配られたりする。
 

 

 その中でも守護系の魔法アイテムは材料の入手が難しいらしく、特に値段が高い。殴っても蹴っても音すらしないと言う丈夫さと、前方だけでなく岩全体を囲っている事から、この結界は通常の結界アイテムより数段値の張る物なのだと思う。

 

 俺ならこんな高価なものを使うより、縄で縛って見張りを立てておく。絶対にその方が安上がりだ。

 

 「マスターは何かにつけてお金と物事を絡ませますね」
 

 

 シギの言葉に今までを思い返してみるが、確かに色々金と比べていたような気がする。
 

 

 「別に口に出してた訳じゃないからいいだろ。それに、金は大事だぞ。今の所七番目くらいに金は大事だ」
 

 

 「七番目ですか」
 

 

 シギには分からないかもしれないが、やっぱり金は大事だ。今の世の中金が無ければろくな食事にもありつけない。
 

 

 金さえあれば何でも出来るとは言わないが、金さえあれば何にもしなくてもいい。この自由気ままな一人旅を続けるにしても、一切食糧に困らない楽な旅が出来るだろうし、何処か喉かな村にでも家を立てて、一生のんびりと暮らす事だって出来る。村一番とは言わないが、二番か三番に美人なお嫁さんでも貰って、二人で気ままに暮らすのだ。いや、何処かの王都に屋敷を構え、可愛いメイドを何十人も雇った方が色々と楽しいかもしれない。
 

 

 「マスターの能力、才能、人脈。どれを取ってもそれほどの富豪になれるとは思えません」
 

 

 「・・・・・・」
 

 

 そんな事は百も承知の上さ。能力なんて人並みだし才能なんて持っちゃいないだろう、知り合いの半分はその日暮らしで、金を貸したことはあって借りた事はない。それどころかまだ返してもらってもない。

 

 でもな、俺にはつい最近とても高価な品を偶然手に入れたんだ。今の所買い手を捜しては居ないが、その品を手放せばかなりの巨額が手に入る。たぶんメイドが一人二人雇えるほどの金だろう。今後その品がどうなるかは未定だが、行方を決めるのは品自身だと言うことを忘れないで居て欲しい。心は広い方だが、我慢の限界を超える発言などを繰り返した場合、すぐにでも売り飛ばしてやろう。
 

 

 「あら、もう起きたの」
 

 

 でも、今その品を売ると、身を守ってくれる頼もしい剣が一本も無くなってしまう事に気が付いた所で、つい最近何処かで聞いたような声がした。
 

 

 声の主が誰かを思い出すより早く、顔を向けた先にそいつは居た。
 

 

 「なんだ、虫か」
 

 

 「誰が虫かッ!」
 

 

 半透明な羽根をヒラヒラと軽く上下させながらこちらへ向かってくる虫は、事実を否定するように声をあげた。どうやら、あの羽根はただの飾りではなく、移動する際に活用されるらしい。
 

 

 虫と会うたびに知識がどんどん豊富になっていくのは良いが、何故こいつがここに居るのか、疑問でならなかった。
 

 

 「まさかとは思うけど、お前が俺を? そんな貧相な身体で?」
 

 

 「あたしじゃないわよ、あたしの仲間がやったの」
 

 

 俺が閉じ込められている岩より、少し離れた木の枝に腰をかけながら虫は答えた。挑発に乗らなかったからか、何処と無く疲れているようにも見える。あの小さな身体で移動をしているのだから、当然か。
 

 

 こいつ一匹では到底俺に叶うはずも無いだろうが、シギが複数犯を仄めかせる事を言っていたのを思い出し、複数なら俺を気絶させる事も運ぶ事も出来るなと納得する。でも、やっぱり釈然としない点がいくつも残る。出会い頭に俺を殺そうとしたくせに、何故気絶させただけで殺さないのか。どうしてこんな結界に俺を閉じ込めているのか。虜囚を置いてこいつの仲間は一体何処へ行ってしまったのか。本当に妖精は美人ばかりなのか。

 

 美人ばかりなら早く戻ってきて欲しい。
 

 

 「俺に何か用でもあるのか? それともシギが狙いか? シギが目的なら、今すぐにでも渡してやるからこの結界を解いてくれ」
 

 

 真顔で非道な交渉を申し込むが、不安そうな顔で森の奥を見ている虫は俺の言葉に耳を貸さない。
 

 

 「おーい、聞いてるか? 聞け、虫!」
 

 

 「・・・・・・」
 

 

 その態度に苛立ちを覚えながらも再度呼びかけるが、本当に聞こえていないかのように見事な無視を続ける。本当に聞こえていないのなら、この虫の耳は正常じゃない。薄々感付いてはいたけれど。

 

 異常なものは仕方が無いと、冷たい岩に腰を下ろし、マジシャンと偽る魔術師並の大脱出を模索する。
 

 

 「あっ・・・・・・!」
 

 

 黙りこくっていた虫が声をあげた。彼女が見ている先から、無数の何かがゆっくりとこちらに向かって飛んでいる。遠すぎるのか、ここからじゃただの点にしか見えないが、近づいてくるにつれその輪郭がはっきりとしてきた。
 

 

 それは、虫とは比べ物にならないほどの美貌を持った妖精達。やけにボロボロの布を纏っている者や真っ白いドレスのような服を着ている者、衣服や容姿は違っても、皆、何処ぞの王女と言われても納得してしまうような気品も感じるほどに美しい。だが、疲れているようで息が荒く、中には目の下に隈が出来るている者もいる。
 

 

 「シギ、ほら、見ろ見ろ。滅多にお目にかかることも無い美女があんなにいるぞ。天にも昇る気持ちってこの感覚の事を言うんだろうか」
 

 

 「本当に、天国送りにされなければ良いですね」
 

 

 興奮している俺とは対照的に、シギは冷めていた。
 

 

 もしかするとシギには美的感覚が無いというか、美学が理解できないのかもしれない。それもそうだ、シギは剣なのだから他者の容姿や物品の良し悪しなんてどうでもいいだろう。
 

 

 でも、人間である俺は違う。ちゃんとした美意識がある。十数年生きてきて、これほどまでの美女をお目にかかることは滅多に無かった。一度にこの数となると、初めての体験だ。自然と好みの子を探したり、相手の年齢を考えてみたりする。
 

 

 「妖精の平均寿命は人間の十倍だと聞いています」
 

 

 「う・・・・・・」
 

 

 シギの一言で急激に自分の体温が下がるのを感じた。容姿だけなら十代から二十代の彼女らだが、それでも人間の年齢に換算すれば百歳から二百歳になるという事だろうか。よぼよぼの老婆どころか白骨だ。
 

 

 「おかえり、どうだった?」
 

 

 虫が美人集団に声をかける。
 

 

 「ダメ、見つからないわ」
 

 

 「そう・・・・・・」
 

 

 ヒラヒラとした布地を纏っているだけという何とも目のやり場に困らないというか凝視させられて困る格好の妖精が答えると、虫はあからさまに落ち込んだ。
 

 

 他の妖精達は石に腰を下ろしたり木の枝に寝転んだりして身体を休め始める。疲れきったその表情もまた可愛いだなんて、どうでもいいか。
 

 

 「それで、これが捕まえた人間?」
 

 

 虫と言葉を交わした妖精が嫌悪の篭った目で俺を見る。彼女は比較的体力が残っているようだ。
 

 

 「うん。でも、こいつ関係無さそう。さっさと殺せばいいのに」
 

 

 虫がどうでも良さそうに答えながら俺に視線を移す。
 

 

 何故虫といいこの妖精といい、こんなにも敵意向き出しなのだろう。俺が何かしたか? まぁ、虫には色々やったが、この妖精とは初対面のはずだ。もう少し友好的に接してくれてもいいんじゃないだろうか。
 

 

 「何でこんな所に閉じ込めたのかは知らないけど、用が無いならさっさと解放してくれよ」
 

 

 俺をぶん殴ったのがこいつらだとしても、今文句を言った所で心証が悪くなるだけだ。出来るだけ温厚に話し合い、この場を去るを運ぶのが一番だろう。文句ならこいつらの姿が見えなくなったところで叫んでやればいい。
 

 

 「アタシだってアンタの顔をずっと見てんのはイヤよ。さっさと煮るなり焼くなりしてやりたいわ」
 

 

 この虫は俺を生かして返す気が無いようだ。
 

 

 「ティナリア、そんな顔してると顔に皺が寄っちゃうわよ」
 

 

 「姉さん」
 

 

 今にも食って掛かろうという表情だった虫の後ろに、いつの間にかニコニコとしている長い髪の妖精と、初めて見る白髪白髭の年老いた男の妖精が立っていた。口振りからして虫の姉なのだろうニコニコとした妖精は、他の妖精とは何処か雰囲気が違う。男の妖精は年老いているからか、あまりカッコよくは見えない。
 

 

 「でも、姉さん。コイツもアイツらと同じ人間よ!」
 

 

 「人間だからって皆悪い人ってわけじゃないと思うなぁ」
 

 

 虫の怒声も物ともせず、虫姉はニコニコと微笑み続ける。どうやら虫姉の雰囲気が違うと感じたのは、人間を嫌悪していないからなのだろう。他の妖精達からは、少なからず俺に対する悪意を感じるのに、この妖精にはそれがない。
 

 

 初めてまともに話が出来そうな妖精に出会うことが出来た。
 

 

 「姉さんがそんな事言うから父さんもコイツを殺す決断が出来ないんじゃない!」
 

 

 「私が居なくてもお父様はそんな事しないわよ、ね?」
 

 

 微笑みを崩すことなく、隣に居る老いた妖精に声をかける虫姉。
 

 

 「むう、そうじゃのう・・・・・・」

 

 老いた妖精は困ったように答えながら、蓄えた白い顎髭を撫でて目を逸らした。この老人は虫と虫姉の父親らしい。
 

 

 「ほら、やっぱり姉さんの所為よ!」
 

 

 「そうかなぁ」
 

 

 妹の怒りを微笑で受け流す姉は、急に俺に向き直った。
 

 

 「君はどう思う?」
 

 

 「は?」
 

 

 ちょっと首を傾けながらそんな事を聞いてくる虫姉に、同じように首を傾け理解不能を示す。
 

 

 「私が居るからお父様が君を殺さないのだと思う?」

 

 虫姉が首を傾けたまま俺に問う。
 

 

 そんな事知るもんか。初対面の、ましてや妖精の家庭内事情なんて知っているわけも無いし、興味も無い。せめて人間サイズならスリーサイズなどを知りたくもなるが、妖精となると高が知れる。

 

 虫姉もよく、妖精側から見ると得体の知れない人間にそんな事を聞いたものだ。もしかすると、話が通じるかもしれないというのは間違いだったのかもしれない。本当はこの妖精、単なる馬鹿で、一番厄介なのではないか? でも、馬鹿なら馬鹿で簡単にこちら側に取り入れる事が出来そうだ。そうすれば何か突破口が開けるかもしれない。そういった意味でも、ここは同意しておいた方がいいだろう。
 

 

 「居なくても殺さないと思う。うん」
 

 

 同じように微笑みながら同意するが、無理に微笑んでいるためか冷や汗が絶えない。声もあがっていたような気がする
 

 

 「だよねぇ」
 

 

 うまく笑えていたようで、虫姉は一層笑顔になる。
 

 

 「姉さん! 姉さんはいつもいつも―――」
 

 

 「まあ、待て」
 

 

 虫がまたも何かを怒鳴ろうとした時、虫父が虫の言葉を遮った。
 

 

 「確かに、ネシィミアが居なくともワシはこの人間を殺さなかったじゃろう」
 

 

 俺を見上げながら虫父はそう言ったが、虫姉のように好意的な気配は出していない。悪心の塊のような虫より何十倍もマシではあるが、それでも俺に対する反感を持っていることは感じられた。
 

 

 「父さんまで何言ってるのよ!」
 

 

 「聞くんじゃティナリア。何も仲良くしようというわけではないわい」
 

 

  虫父は白髭を撫でながら、白髪に隠れた目をぎらつかせた。

 

 

 「利用するんじゃよ、今回の件を治めるのに利用するんじゃ。だからこの者は生かす」
 
 

 

 「・・・・・・それなら」
 

 

 渋々という感じで虫は納得し、黙り込んだ。
 

 

 とりあえず俺は生かされたらしい。けれど、それでよかったのかどうかはまだ分からない。もしかするとその『利用』というのは、何かの実験材料にされたりで痛かったり苦しかったりするかもしれないわけで、死んだ方がマシだと思う目に遭わされる可能性もあるのだから。
 

 

 少し怯えながらも、表情には出さないようにして老人と向き合う。彼は俺の目をジッと見て、ゆっくりと話し始めた。
 

 

 「聞いての通りじゃ。お主には少し働いてもらう」
 
 

 

 「そ、そうすれば解放してくれるんだよな?」
 

 

 「ああ、もちろんじゃとも」
 

 

 虫父は目を細め、急に友好的になった。
 

 

 「お主を殺してもワシらには何の得もありゃせん。ここは平和的に取引と行こう」
 

 

 実際は取引なんて対等な物ではなく、ただの脅しだ。俺を利用するために生かすと先ほど公言したばかりじゃないか、アレは断れば殺すと言う意なんだろう? そうわかってはいても、俺だって殺されたくは無い。ここは一つエセ取引に乗り、人探しだろうがモンスター退治だろうが引き受けてやろう。
 

 

 「お主にはこれから人間退治をしてもらう」

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