町が見えると、俺は走った。今まで考えていた事を全て忘れ、足だけで何処かに行ってしまうんじゃないかと思うほどの勢いで走った。
やっとだ、やっとまともな食事にありつける。
牢屋にぶち込まれようと打ち首にされようと関係ない。腹いっぱい食って、そのあと金が無いですごめんなさいと謝ろう。誠意を見せれば許してくれるさ。ただ食い前提で飯屋に入る俺に誠意があるのかと聞かれれば、そりゃ無いだろうが、生きるためだもの、仕方ないさ。許してくれるさ。
三十分ほど全速力で走って、やっと町に着いた。
足を止めることなく宿屋か飯屋を探し回る。ほどなくして一軒の宿屋を見つけた。
すぐには止まりそうに無い勢いに開けっ放しの扉は好都合だ。店の中に体当たりするように飛び込む。
「飯ください! 飯!! なんでもいいからすぐに出来るものたくさんね!」
誰かに怒られるんじゃないか、笑われるんじゃないかと思うほど大声で叫んだ。だが、誰も怒らず誰も笑わなかった。それもそのはず、誰もいなかったのだから。
客が居ないだけなら、何も気にするほどのことじゃないが、亭主までいなかった。
廃業でもしたのだろうと思い、すぐに別の店を探す。だが、何処も同じような有様だった。客も亭主もおらず、食器などもない。空腹を堪え切れず、悪いと思いながらも冷蔵庫を漁ってみたが、食糧もない。
だんだん腹が立ってきた。この町は俺に嫌がらせをしているのだろうか。誰でもいいからひっ捕まえて事情を聞こう−−−と、六軒目の飯屋から出たところで気づいた。そういえば、この町に着いて誰とも会ってない。
大きな町ではないが小さな町でもないスワイ、人っ子一人見えなくて、声も聞こえない。
露天は開かれたままなのだが、商品は何もなかった。
町をよく見渡すと、扉が開けっ放しの家が多い、今まで回ってきた店も扉が開けっ放しだった。地面には装飾品や日常品、踏みつけられ潰れた果物が落ちている。
そこでやっと俺は危機感を持った。
まずい。ここにいるのはまずい。きっと何かある。絶対何かある。何かあった後かもしれないが、これから起こるかもしれない。早くここから離れよう。
―――いや、待て、待つんだ。今ここから離れちゃ駄目だ。食い物を見つけてからだ、少なくとも次の町まで徒歩で五日もかかる。ここから逃げたところで餓死しちゃなんの意味も無いだろう。
―――でも、早く逃げないと、何が起こるかわからない。町の状況からして何かがあるのは確かなのだ。これほど慌てて逃げなければならない何かが。食い物なんて気の幹でもかじっていればいい、モンスターだってその辺にたくさん居るじゃないか。
―――じゃあ、またあの苦しい思いをしてもいいのか?今度は熱だけじゃ済まないかも知れない。足が取れたり、腕が腐ったり、もしかしたら死んでしまうかもしれない。それでもいいのか?
―――だけど、一刻も早くここを立ち去らないと、それこそ命の保障は無い。さっさと逃げてしまおう、今ならまだ間に合う。
頭の中で生き残る方法を必死で考える。
ここで、その何かのせいで死ぬのもいやだけど、腹ペコで死んだり、足がとれたり、腕が腐ったりするのはもっとヤダ。どうせ死ぬなら一思いに死にたい。
というわけで、まず食糧を見つけ出してから逃げることにした。
静かに、なるべく急いで、俺は走った。
◆
本当に、本当に何もない。
既に民家も含め、五十軒は探索しているというのに、パンの一切れも残っていない。
食べかけの食事は全部ひっくり返され、床に散らばり踏みつけられており、とても食べられるものじゃない。
少しくらい何か置いていってくれてもいいじゃないか、この町の住民は皆随分とケチなようだ。
食べ物だけでなく日常品も持てるものはほぼ無くなっていた。もうこの町に戻っては来られないということだろう。でも、今のところ町にそれほどの異常は無い。
人が居ないとか食い物が全く無いとか言う異常ならあるが、人が住めなくなるような異常がない。
建物の損壊が無いのでモンスターの群れが襲ってきたわけでも無いようだ、台風や津波のあとも皆無である。
すでに何かが起こっているというのなら、病気の蔓延くらいか。俺はすでにそれにかかっているかもしれない。でも、身体に何の異常も感じない。
本当に怖い病気はじっくり身体を蝕んでいくものだと言うのを思いだし青ざめるが、もし病気が原因で皆逃げ出したのなら、すでに感染した人や死体が残っているはずであるが、死体も無ければ真新しい墓も無かった。つまり、これから何かが起こるのだ。
何が起こるのだろう。
一番高い可能性はモンスターの群れだ。
モンスターの群れにはもう何度も遭遇している、会うたびに死を覚悟した。
三日間走り続けた末、川に飛び込み滝つぼにまっさかさまに落ちて全身骨折しながらもどうにか生き延びたこともあるし、群れに追われながら町に逃げ込んで、その町の騎士団や住民に殺されそうになった事もある。
同じ種族ばかり集まっている群れなら、まだ対処方法はあるが、色々な種族が入り混じった群れは本当に厄介だ。
隠れても、一匹鼻の利くモンスターがいたら場所がばれてしまう。走って逃げても、一匹翼のあるモンスターがいれば追いつかれ足止めを食う。
違う種族でも群れは群れ、大抵が見事な連携で着実に獲物を追い詰める。
思い出すだけで身震いする。
剣の腕が無くても一人旅で生き延びていけたのは、この中途半端な運のおかげだ。
本当に運が良かったらこんな旅をしていない。運が無いから一人でこんな旅をしつつ、態のいい職を探しているのだ。
ふと気づくと空はもう茜色に染まっていた、町の中央の広場で冷たくなってきた 風を感じながら途方に暮れる。
結局、今のところ何も見つからず、何も起こらなかった。このまま何も食い物が見つからなかったらどうしよう。本当に餓死しかねない。
グゥ〜と何時間ぶりかに腹の虫がなる。
食い物探しと人間探しに夢中で気にならなかったが、そういえば腹が減っていたんだった。何のために食い物を探していたんだか。
ふと、目に入ったのは地面に落ちている、潰れたリンゴ。
このリンゴ、確かに潰れて砂まみれだが、食えそうだ。
ジャリジャリ気持ち悪そうだが、食えないことも無い。
毒が塗りこまれているわけでもない、食って死ぬわけでもない。
むしろ食わずに死ぬより食って死にたい。
砂なんていつも空気と一緒に吸い込んでいるじゃないか、どうってことないさ。
この際妥協しよう、少し汚れている食い物ならいくらでもある。パンもチーズもハムだって、床に落ち踏みつけられたのならたくさんあった。これからはそういう『食えなくない物』も集めよう。だって、勿体無いじゃないか、ちょっと汚れているだけだ、世の中には餓死する人もたくさんいるのだ、俺は今その候補だ。
空腹と誰も居ないという安心感から、プライドを捨て、虚ろな目で潰れたリンゴに手を伸ばす。
触れる。リンゴとは思えないほどのざらつき。
きっと、噛んだらリンゴの味より砂の感触のほうが気になって美味しいとは思えないだろう。
でも、このままじゃ栄養不足でぶっ倒れる。味よりとにかく栄養補給だ。
そっと口にその潰れたリンゴを近づけ、口を大きく開け―――ゴトン
そのとき、前方にある宿屋で音がした。驚いて五センチくらい飛び跳ねた。
誰もいないと思っていたのだが、誰か居るのだろうか? それとも動物か? もしかしたらモンスターかもしれない。
行って見ようか、もし人なら食べ物をわけてもらえるかもしれない。少なくとも何故誰もいないのかくらいは教えてもらえるだろうし、一人ぼっちの寂しさともおさらばできる。
でもモンスターだった場合、村の全員が逃げるほどの数、もしくは全員が束になっても勝てないほどの力の持ち主だ。危険すぎる。
動物だった場合は問答無用で食おう。焼肉だ。
少し考えたのち、宿に向かう事にした。冷静になり始めた時点で潰れたリンゴを食うという選択肢が除外され、宿に行かなければ餓死という結果しか残らなかったからだ。
大股で足音を立てないようゆっくりと開けっ放しの扉へ近づいていく。