パン詰めに時間がかかったのか、女の子が走って行ってしまったのか、部屋を出ると女の子の姿はなかった。
あの音の正体がさっきの女の子だとすると、俺が宿に入るところから料理を食べているまでの時間、あの子は別の部屋にいた事になる。この宿の宿泊客なのかもしれない。
パンを噛み切りながら一つ一つ部屋を回っていく。やはり誰もおらず、やたら散らかっていた。
観葉植物はなぎ倒され、タンスや扉は開けっ放し、ふとんは床に落ち足跡だらけ・・・・・・相当慌てて逃げ出したらしい。俺もそんな宿の客達に劣らない速さで客室を回っていく。
先ほどの宣言どおり、夕日が沈み薄い月明かりに照らされる廊下の足元はよく見えず、転がっていたモップでつまずいたり、花瓶でも置いていたのだろう机に脚をぶつけたりもしたが、そんな痛みに構わず急いでその女の子を捜す。早く見つけないとこの宿を出て行ってしまうかもしれないからだ。
食糧は見つけたし、この町にはもう用が無いのだが、もしモンスターの群れがここへ襲ってきているのなら、一人で逃げるより二人で一緒に逃げたほうがいいに決まっている。
六つ目の部屋でようやくさっきの子を見つけた。
窓が少なく廊下より薄暗い部屋、その中でも女の子は窓から差す月光をダイレクトに浴びており、長く煌びやかな銀色の髪と上下同色の白という布着れ二枚しか纏っていない白い肌がいっそう輝きを増すようだった。
着替え中だった。
「うわ!?ご、ゴメン!」
動転しながら扉を閉める−−−閉めようとしたが、扉が外れかけており、扉を引いた瞬間こちらへ倒れてきた。
「ぬあッ」
受け止めようと手を伸ばしたが、思ったより重く扉の下敷きになってしまう。すぐに扉をどけようとしたが、目の前で見知らぬ女の子が着替えをしているんだった。扉をどけてしまうとその光景を見てしまうことになり、それはまずい。年頃の―――年頃じゃなくてもまずいだろうが−−−女性の裸体を見るのはまずい。いや、下着はつけていたが、まずい。
仕方なく黙ってそのままジッとする。
そのうち着替え終わった女の子が助けてくれるだろうと信じて扉の重さに耐える。
◆
黙り続けて十分は経っているだろう。女の子は助けてくれるどころか声すらかけてくれない。
女性は身支度に時間がかかると聞いたことがあるが、着替え自体にはそんなにかからないのではないのだろうか。下着姿にまでなっていたのだ、後は着るだけだったはずなのだがこんなに時間がかかるのだろうか。
扉をどけようかとも思ったが、もしまだ着替え中だったのなら好感度ダウンは必至だ。俺は、せめて一番近い町までは一緒に行きたいと思っているのだ。こんなところで好感度を落としてたまるものか。
そう思い、もう少し待ってみることにした。どのくらい待てばいいのだろうと考えながら溜め息をつき、目を伏せる。
人が居たという安心感からか、少し眠くなってきたところで足音が聞こえた。こっちに向かってくる。やっと着替えが終わったらしい、助けに来てくれるのだろうとかわいい女の子との会話に期待しながら待つ。
一人でもこんな扉除けられるが、こういうのは人の手を借りたほうがいいのだ。友好度がグッとあがるのだ。
「ぐふァッ」
不意に扉が重くなった。息苦しいが、あばらが折れるほどでもない。
暴れようと思った瞬間、その重みは無くなり本来の扉の重さに戻った。
足音が遠ざかっていく。どうやらあの女の子が扉ごと俺を踏んで立ち去ろうとしているようだ。
何事も交渉で穏便に解決しようという信念をもっている俺でも流石に少しイラッときた。
「ッく・・・・・・だぁ!」
掛け声と共に思いっきり力を込め扉を押す。軽くはないが、そこまで重くも無いので苦も無く退ける事が出来た。
「はぁはぁ・・・・・・、何考えてるんだあいつ」
もしかしたら下着姿を見たことを怒っているのかもしれないが、扉の下敷きになっている人間を踏みつける事か?
やっぱり一人で町を出ようか。
最初は誰かと一緒なら寂しさ半分苦労も半分に出来るだろうと思っていたのだけど、正直あの女の子と一緒に居ると怒り倍増苦労も倍増しそうだ。
だけど、あの子が一人とは限らない。
あの子の態度は悪いが、もしパーティーを組んでいるのなら、その中に一人くらい話の合う楽しい人もいるかもしれない。たとえ一人だとしても、あの子は一人旅が出来るほどの能力を持っているということで、そばに居ればモンスターを心配する事が無いということだ。
町を出た瞬間モンスターの群れにばったり遭遇しないとも限らない。多少ムカつくことがあったとしても、命には代えられない。
追おう。
自分の非力さとあの女の子の態度にイライラしつつも、俺は女の子のあとをふらふらと追った。
俺が追いつく頃には女の子はもう宿の外に出ていた。
町に人工的な明かりは一切無く、頼りの月も半分しか輝いていない。宿の中よりは月の光を遮る壁がない分明るいので別に困る事は無いのだが、薄暗い事には変わりなく、出来ればモンスターには会いたくない。
「ちょっとまってくれってば! 悪かったよ!」
「・・・・・・」
さっきから何度も叫んでいるのだが、女の子は立ち止まる事も振り返る事もしない。
着替えで汚れはなくなったが、さっきと然程変わらない、動きやすい、冒険者向きの服装になった女の子。特にオシャレな格好では無いのだが、汚れが無くなっただけで美少女と言う印象が数段増す。ドレスでも着て舞踏会に出た日には、どれだけの男が魅了されるだろうか。
まぁ、まずはこの性格を直してからの話だが。
「さっきの事は悪かった。確かにあれは俺が悪かったけど、台所で無視したのもどうかと思うぞ。あれが無かったら俺だって追わなかったんだ。言い訳だっていうのはわかってるけどさ、それでもその態度はあんまりじゃないか?」
「・・・・・・」
歩く女の子の後をついて行きながら、とにかく弁解を重ねる。
「いや、悪かったよ。頼むから話を聞いてくれって・・・・・・。俺はこの町からさっさと出ようと思うんだ。でも、一人より二人で出たほうがいいだろ? だから一緒に行かない? ここから一番近い町ってどこだったっけ? ああ、それよりさ、他に仲間とかいないの? 出来れば会っておきたいんだけど」
「・・・・・・さい」
やっと女の子が何かを喋ってくれたが、小さく聞き取れなかった。
「え? 今なんて?」
問い掛けに女の子が振り向いた。
「五月蝿い」
冷たい。とても冷たい眼差しで俺は射抜かれた。
身体だけでなく心まで凍りつくような一直線な眼差し。
その場に立ち尽くす俺を置き去りに、女の子は再び歩き出した。追いかける気力をなくした俺はただただ呆然と女の子の背中を見送る。女の子が怖かったという理由だけじゃない、思い出したのだ。
あの眼。
あの眼とあの顔はそう、教会のエセ神父から見せられた手配書に載っていた一番賞金の高い女の子。世界的に有名な女の子だった。
あのエセ神父も言っていた。
『この者は悪魔に魂を売り渡し、神に見放されし少女―――いえ、悪魔です。いずれ残酷な死が待っているでしょう』
あの、へらへら笑うことしかしないエセ神父が最初で最後の真剣な顔で言ったのだ。
そう、目の前を歩いていく美しい後ろ姿は悪魔。世界が恐れる『悪魔の子』
あの子が通ったあとには落ち葉一つ残らないと言われている。
理由は・・・・・・、覚えてない。とにかく恐ろしいと聞いた。
仕方ないだろう、熱にうなされているところをムリヤリ聞かされたのだ、うつろにしか覚えていない。
もっと言ってしまうと、あの手配書だって朝食に出されたジャガイモ二つが六つに見える目で見たものだ。
『悪魔の子』があの子だという証拠は無い。
でも可能性はあるのだ、最高級の賞金首だという可能性が。モンスターよりもたちが悪い。回れ右して立ち去ろう。
その時だった。
「クギャアアアアアッ!!」
この世のものとは思えない雄叫び。
ある時は森に迷い込んだ旅人を襲い、ある時は食糧を求めて人間が住まう町や村まで群れでやってくる、人間に疎まれ恐怖されるこの世界に不必要な存在。
そう、モンスターの雄叫びが遠くから聞こえた。
「クギャアアアアアアアッ!!」
声はどんどん近づいてくる。
身を守るため剣を抜こうとした瞬間、空から大きな何かが降ってきた。
「んな!?」
後ろに飛び退き、その何かをかわす。
地面に激突したそれは、コンクリートを破壊し土煙をたてながら猛スピードでこちらへ向かってきた。
そいつは人間ほどの大きさをした鳥型のモンスターだった。
見るからに汚いもみくちゃな黒い羽、鉄錆色をしたクチバシ、通常の鳥じゃ持ち得ないほどの殺意、集団じゃなくてよかった。
「クギャアアア!!」
甲高い声をあげながら突進してくるモンスター。
横に跳躍しながら剣を抜く、そのまま振り下ろそうとするが、その前にモンスターが腹部ギリギリをすり抜けていく。直後、ちょっとした突風が髪を撫でる。
モンスターはそのまま数メートル直進したのち上昇しながらUターンしてきた。どうやら突っ込んでくる以外能の無い低級モンスターのようだ。覚えているだけでも五年は付き合ってきた剣を下段に構え、又も同じように上空から勢いをつけて突っ込んでくるモンスターを待つ。だてに二年間も旅をしてない、俺だって単純に突っ込んでくるだけのモンスターを切りつけるタイミングなら計れるさ。
グングンスピードを上げて近寄ってくるモンスター、焦りで冷や汗が出てきた。落ち着くために声に出しタイミングを計る。
「3・・・・・・2・・・・・・1・・・・・・ッ!!」
一歩踏み出し全力で剣を振り上げる。予想以上に重い衝撃が剣に走ったのも一瞬だった。
「クゲェエエエエッ!!」
苦痛の叫び。
剣は狙い通り翼を引き裂き、モンスターはスピードを落とさぬまま回転し、家に衝突して動かなくなった。動けたとしても翼が無くなった今追ってくる方法は無いだろう。
剣を鞘に収めようともせず、俺は走る。
当然、町の出口へだ。
まだモンスターの群れ全体は町に到着していない。
雄叫びももう他には聞こえず静かな物だ。
もしかするとさっきのモンスターは群れに所属していない単独のモンスターで、群れが近寄ってきている何て言うのは俺の思い込みなんじゃないだろうかとも考えたが、もし群れが近寄ってきていた場合取り返しがつかない事になるし、もうこの町には何の未練も無いのでその可能性はとりあえず捨て置いた。
今のうちに、町から出てさっきのモンスターが現れた方向とは正反対に全速力で逃げるのだ。今なら、今ならまだ間に合う。
今すぐに町から逃げればまだ群れに存在を気づかれないかもしれない。
モンスターだって人間だけを食べるわけじゃない。町を襲う場合は町から逃げた人間より、町に残っている食糧を優先して食べるのだ。
人間を相手にすると、当然死ぬ可能性もある。それをちゃんとわかっているのだろう。だから大抵のモンスターは、直接俺の方へ向かってこずに、まずは町を隅々まで探索して俺を追ってくるだろう。
それにしても不思議なのは、一匹しか鳥型のモンスターが居ないということだ。群れのモンスターが、しかも低級が一匹で行動するなんてことはまずない。
群れの中でも『グループ』がある、かならず二匹以上―――大きい群れでは十匹単位で行動する。中級・高級モンスターのグループの場合は、全員がある程度の能を持っているため食糧を独り占めしようとするヤツや、探索範囲を広げようと一時バラバラになったりもするが、さっきのモンスターは明らかに低級だった。低級モンスターからするとグループと言う存在は身体の一部なのだ。グループの中でも多少頭のいいヤツが『リーダー』となり、リーダーが命令を下せば生存本能すら無いのかもしれない『メンバー』と呼ばれる無能な低級モンスターはそれに従う。
例えばグループのリーダーが誤ってマグマの中に飛び込んだとする、そうするとグループの『メンバー』は次々とマグマの中に飛び込み死んでいくのだ。まさに、低級モンスターのグループは一心同体一蓮托生なのである。なのに、さっき俺を襲ったモンスターは単独だった。仲間を呼びに行く知識なんて無いだろうし、もしかすると俺を襲ったモンスターは新入りでグループからはぐれたのかもしれない。
もしさっきのモンスターがグループからはぐれたのだとすると、残りのメンバーは何処に行ったのだろう。
俺以外にいい食糧があったのだろうか、この町にまだ残っている食糧といえばあの宿にあった豪勢な料理だが、鳥型モンスターは家の中までは入らない。となると、潰れたリンゴでも食べているのだろう。自分の仲間ですら死んだら食うのだ、モンスターからすれば多少の砂なんて許容範囲内なんだろう。
それとも、他にも何か食糧があったのだろうか、木に実が生っていたとか田があったとか、それこそ俺より美味しそうな肉の塊があったとか。
でも、この町に来て隅々まで見て回ったが豚や牛は疎か猫一匹いなかったはずだ、他に何か美味しそうなものなんて−−−ああ、そうか、いるんだった。
そうだった、モンスターの事ですっかり忘れていたが、あの最高級の賞金首と思われる女の子がいるんだった。
足を止める。
この町の周りは戦争の名残で高い塀に囲われており、出入り口は一つ、そしてあの女の子が向かった方向は出入り口とは正反対。
あの子の所へ行くべきだろうか。
あの子が本当に最高級の賞金首なら、俺が行かなくても自分で対処できる、むしろ俺が邪魔をしてしまうことになるだろう。いや、それどころか俺も殺されてしまうかもしれない。
でも、もしあの子が普通の女の子だったら? モンスターに殺されてしまうだろう、確実に。だが、俺が行ったって、鳥型モンスターのグループは何とか倒せたとしても、群れから逃げられる確証は無い。
今なら、俺一人なら逃げられる。確実に逃げられるんだ。
でも、あの子を見捨てるのか?見捨ててもいいのか?
俺は迷った。
軽く三十秒は迷った。
末に、俺は走り出した。
出口とは正反対へ。