たとえばこういうことだ。
 

 荒れ野に近寄りがたいほど可憐で綺麗な花が一輪咲いているとしよう。凶悪な虫がいまかいまかと花を襲う機会を待ち、異常な繁殖力と耐久力を持っている雑草が花の摂取しようとした栄養まで奪ってしまう。当然花にはどうする事も出来ず、結果、枯れ果てる。外部からの助けが無い限り必然的にこうなるわけなのだ。
 

 そこで俺が除草剤と殺虫剤・・・・・まで強力とは行かないが、スコップとピンセットを持ち花を狙う悪者を取り払ってやろうと走ってきた。
 

 当然、俺が何の見返りも求めていない訳が無い。あわよくば、その花を持ち帰ろうと考えていた。少なくとも、花壇に持ち運ぶ位はさせてもらえるだろう。
 

 花を狙って襲ってくるヤツは全員蹴散らす気でいた。
 

 負けた時の覚悟もあった。
 

 だが、荒れ野の一輪でポツンと咲いていただけあり、花は自分の身を守る方法を心得ていたらしい。
 

 周りの雑草まで栄養と変え、襲ってくる虫をも捕食するほどの力。
 

 いや、もしかすると可憐で綺麗な花というのは見せかけで、本当はひ弱な花のふりをして近寄ってくるヤツを無差別に食べてしまう怪物なんじゃないだろうか。

 もしそうなのだとすると、俺はどうしたらいいのだろう。
 

 数十匹の鳥型モンスターを強力な魔法で一気に蹴散らした怪物の後姿を目の前に、俺はどうしたらいいのだろう。
 

 頭では目の前の女の子が恐怖だと理解しているのだが、逃げようと身体を反転させようとしても動いてくれない。いや、理解しているからこそ動いてくれないのかもしれない。
 

 どちらにせよ、先ほど空中を素早く飛び回る何十匹もの鳥型モンスターを、見たことも無い巨大な氷刃で一度に両断した凶悪犯罪者かもしれない女の子を目の前に動けないというのは死を意味するんじゃないだろうか。
 

 動けても目を付けられれば簡単に殺されるだろうが、今はまだ気づかれてないはずだ。
 

 今すぐ反転して走れば追いつかれないはずだ。
 

 逃げ延びれるはずなのに、身体が動いてくれない。全くもって情けない。
 

 ふと、後ろから殺気を感じた。
 

 さっきまでピクリとも動いてくれなかった身体が横に飛び跳ねる。ビュンと、先ほどまで俺が居た場所に鳥型モンスターが猛スピードで突進をしてきた。避けなければかなりのダメージを負っただろう。
 

 モンスターはまだ加速を続け、そのまま女の子の方に向かっていった。
 

「危ない!!」
 

 俺はとっさに叫んだ。
 

 女の子は素早く振り向き、杖を構え、小さく呪文の詠唱を始める。数秒も掛からないうちに呪文の詠唱は終わり、杖から大きな火の玉が現れ、突進してくる鳥型モンスターを飲み込みそのまま消滅した。
 

 これまた、見たことの無い大きさの火の玉だった。
 

 呆然としている間は無く、俺が走ってきた方向・・・・・・町の出入り口方面から咆哮が聞こえた。モンスターのものだ。
 

 目を凝らして見て見るが、かなり距離があるので当然何も見えない。
 

 だが、これでもう逃げる方法が無くなったわけだ。隠れて運良く見つからない事を祈るのみである。
 

 視線を感じ振り向くと、遠くで女の子がこちらを見ていた。俺と同じく町の出入り口を見ていたのかもしれないが、振り向いてしまった以上無視するわけにもいかず、普通を装い内心ドキドキしながら女の子に向かって走る。
 

 女の子は俺が着く前に反転し、歩き出した。俺の事などどうでもいいようだ。
 

 でも、俺に後ろを見せると言う事は少なくとも敵とは認識していないようだ。素直に嬉しいことである。
 

 追いつく頃には、女の子はもう町の出入り口とは正反対の端にある教会まで着き、立ち止まっていた。
 

「ここに用事?」
 

 声をかけてみるがやはり無視、少なくとも俺を待っていてくれたわけではないようだ。そのまま教会に入っていく女の子にイライラすることも無くついていく。
 

 多少大きな町だけあって、教会自体が大きいが、この教会の中はありふれたシンプルな構造だった。三列に並んだ長椅子、奥には祭壇、大きなパイプオルガンもある。出入り口は一つで、窓も少ない、こんなところで襲われたら一溜まりも無いだろう。
 

 数多くの信者を持っている教会なので、ここも町同様逃げる時にかなり散らかされているものだと思ったが、元々この町には信者が少なかったのか、出て行くときに神父やシスターが整理したのか、綺麗なものだった。
 

 違うのは昼夜問わず誰かがお祈りをしているはずなのに誰もいない事と、天井に絵が書いてある採光窓があるにもかかわらず、半月だからか月光があまり差し込んでこず、随分と暗かったことくらいだ。
 

 女の子は入り口付近の机に置いてあったランタンにマッチで火を灯し、そのランタンの火を今度は教会中の燭台に灯し始めた。
 

 ふと疑問が浮かんだ。さっき、あんなにもすごい魔法を使って見せたのに何故魔法で火をつけないのだろう。
 

 もしかしたら、さっきの戦闘の魔法で力を使い果たしたのかもしれない、見たところ剣を持っているわけでも無さそうで、もし本当に力を使い果たしているのなら次からの戦闘は剣士である俺に頼るしかなくなる。男の見せ所だ。
 

 でもそうと決まったわけではなく、火の魔法を学んでないだけかもしれないし、力の温存のためかもしれないので滅多な真似は出来ない。
 

 滅多な真似って言っても別に何をするってわけじゃない。ただ発言や行動には注意しないと殺されるかもしれないと言うことだ。
 

 女の子は一人黙々と広い教会を回りながら多数の燭台に火を灯し、最後に祭壇の燭台にも火を灯し終える。俺はその間考え事に没頭しており何一つ手伝っていない。その時点でかなり男が廃っている気もするが、まだまだこれからが勝負なのである。
 

 全ての燭台に火が灯ると、教会内は予想以上に明るくなった。きっと外のモンスター達にもここに何かがあるとよくわかるだろう、これで気が付かないほど低能なモンスターなら苦労はしない。
 

 蝋燭の火で影が揺らめき目がクラクラしてくる中、女の子はパイプオルガンを眺めたり装飾品を手に取ったりし始めた。
 

「ま、まさか持ち逃げする気じゃ・・・・・・」
 

 不審な行動をしている女の子を見て思わず口にしていたが、女の子に届かなかったのか、またも無視しているのか無反応。
 

 モンスターがすぐそこまで迫ってきているというのに、命の危険を顧みずわざわざ誰も居ない教会に上がりこむと言うのは、よほどの信者か泥棒くらいだ。
 

 この女の子は祈ろうとはせず、高そうな蝋燭を手に取ったり美しい像を眺めている。この態度からして信者では無さそうだし、やはり泥棒なんだろうか。世界最大の泥棒として名を馳せているのだろうか。落ち葉一つ残さず盗むのだろうか。
 

 確かにモンスターの群れに襲われた村はほぼ壊滅状態となり、そこにあった高価なものも壊されて全く価値がなくなったりもする。でも、それは結局人のものである。
 

 運よく壊されないものもあるわけであり、その可能性を秘めたものを勝手に持っていくのは泥棒に変わりないのだ。ばれなければ何をやってもいいというわけではないのである。
 

 というわけで、俺は女の子を止めないといけないのだが、本当に持ち去ろうとしていると言う確証はないのでまだ口を挟まない。別に『さっきの魔法を使われたら確実に死ぬな』とか考えてやめたわけじゃない。
 

 何もしないのも変な気がするので、女の子に何をしているのか聞こうと祭壇に向かう途中、偶然長椅子の下に布のようなものを見つけた。
 

 特に気にならなかったが、あの女の子と話を進める心の準備がまだ出来て無く、その布で時間を稼ぐ事にした。
 

 腰を屈め布を引っ張ると、それはズシリとかなり重い袋だった。
 

「なんだ? 忘れ物か?」
 

 中を見るのは気が引けたが、多少の興味と時間稼ぎのために袋を開く。
 

「本ばかりだな・・・・・・」
 

 中には聖書と思しき物が大量に詰め込まれていた。神話に関する本や魔術書もある。
本以外は何も入っていないのかと思ったが、一番奥の本の下に隠されたように一本の短剣があった。装飾は地味だったが、鞘から剣柄にかけて全てが銀色に輝いており、それを隠すように真っ白い布が剣柄にだけかけられていた。
 

 銀で出来ているのだろうか。まるで剣に手が引っぱられる様にゆっくりと手を伸ばし、布ごと手に取ると、それは羽のように軽かった。銀ではないようだ。刃渡りは三十センチと言ったところで、鞘から抜いてみると刃も銀色に輝いていた。
 

 金貨十枚もする物を銅貨十枚で買えると思っていた価値観の無い俺でもわかる、これはとてもいいものだ、きっとすごく高い。売れば金貨三十枚以上になるだろう。
 

 もしあの女の子が本当に泥棒ならば、必ずコレを欲しがるはずだ。
 

 隠さなければと思った刹那、いつの間にか背後に居た女の子が置いてあった本を袋ごと奪いとった。慌てて剣だけは守り通そうと服の下に隠す。
 

 ゆっくり振り向くと、女の子はいくつか袋から本を取り自分のバッグに詰めていた。
 

 やっぱりか、やっぱり泥棒か。
 

 昔泥棒に入られ、貯めに貯めた銅貨五十枚を根こそぎ奪われた事を思い出しその時怨みが甦る。その泥棒は男で、しかも四十歳を過ぎていただろう顔立ちをしていたが、泥棒と聞くだけで全てあの男と性質がかぶり、なんだかイライラしてくる。
 

 とはいえ、さきほど魔法の威力を存分に見せ付けられたうえで『お前泥棒だろやめろよそういうことはいいか人間はもっと真っ当に生きられるんだよ特に君のようなかわいい子なら嫁の貰い手はたくさんあるだろうし何処かのお店で看板娘をやることだって絶対可能だああでもそういうお店はダメだぞ普通の飯屋にするんだだから今すぐこういうことはやめるんだ今ならまだ間に合うもう随分高めの賞金をかけられているけど大丈夫小さい村にならそんな情報届いてないはずだから大丈夫君のためにも俺のためにもやめてくれ』なんて、説教染みた事を言う勇気は無い。
 

 でも、もしかするとそういってほしいのかもしれない。
 

 『最初は遊びでやってみたことが今じゃ取り返しのつかない所まで来てしまいどうしようもなくなった』と言う盗人の劇を見たことがある。一人の少女のおかげで更生してまともな職に就くことが出来、最後はその少女と結婚までするという感動作だ。感激のあまり一緒に見ていたミナは泣き出した。
 

 この子はどう見ても十五・六歳で丁度反抗期だ。きっとお金が無いから物を盗んで、盗んだものを売ると予想以上の金になって、欲しい物を買って、またお金が無くなったから盗んで、売って、コレを繰り返しているうちに金銭感覚が狂ってやめられなくなったのだ。そうに違いない。で、それを俺が更生させてあげてゆくゆくは結婚−−−いやいや、俺はそんないやしい考えなんて持ってない。単純にこの女の子に罪を犯させたくないんだ。
 

 だから俺は気に障らない程度に声をかけてみる事にした。下心なんて全く無い。
 

「その本、どうするんだ?」
 

 女の子はこちらを見向きもせず残った本を俺の前に投げるように置く。
 

 しまった、少しストレートだったか? なんだか娘の心を知ろうとする父親の気分だ。なんか嫌だ。
 

 女の子はまたも祭壇に向かっていった。残った本を一瞥し、元の半分も本が無い事を確認。結構分厚く重い本もあったのだがそれも無くなっている。重くないんだろうか。
 

 教会らしいシンとした空気が再び戻ってくる。閑寂は嫌いじゃないんだが、この緊張感漂う静寂とした雰囲気は苦手である。
 

 話を適当に変える事にする。
 

「これからどうするんだ? たぶん、町にはモンスターが入り込んでるし・・・・・・俺はこのまま何処かに隠れて騎士団が助けてくるか、モンスターの群れが立ち去るまで待とうと思う。君はどうする?」
 

 立ち上がりながら出来るだけ気楽そうに尋ねたが返答は無かった。
 

 ハッキリ言って今この状況はかなりの恐怖である。
 

 今までも生命の危機に晒される事は何度も、何度もあった。でもこんな逃げ場の無い状況に追い込まれた事は初めてなのだ。逃げ場がないという恐怖は途轍もない。一思いに首を刎ねられ死ぬほうが何倍もマシなんじゃないだろうか。
 

 それなのに再び祭壇を物色しているあの子は何だ。
 

 何故そんなに平然としていられるのだ。
 

 一見ただの女の子で最高級の賞金首だろう彼女はこんな状況を物ともしないほど修羅場をくぐってきたのだろうか。
 

 それとも、すでにこの町から脱出する手段が整っているのかもしれない。
 

 なら、この子について行けば俺も脱出できるかもしれない。一人乗りの気球とかなら泣く泣く身を引く事になるが。
 

 溜め息をつきながら女の子に近づく。流石にいきなり攻撃されたりしないだろう。
 

 またも何もすることがなくなったので、女の子の邪魔にならない程度に離れた距離で俺も普段お目にかかるのも難しい高級品に触れてみる。盗む気は全く無い。
 

 女神を模ってあるその像は冷たく、やけに重かった。何で出来ているのだろう。
 

 元の位置に戻し、別の物を見ようと方向転換すると同時に肘に何かがぶつかり、「あ」と情けない声を出す前にそれは俺の肘に弾かれ、床に落ち大きな音を立てて割れた。さっきの像とはまた違う高そうな像だった。
 

「ああああああッ!」
 

 悲痛な叫びをあげながら、俺はその像を追う様にその場で崩れ、像に寄り添う。
 

 元はどんな形をしていたかも知らないその像からは、やっぱり元はどんな形をしていたか読み取れないほどバラバラに崩れていた。
 

 これはまずい、弁償出来るほど俺は金を持っていない。
 

 もしもこの像がそれほど重要なものなら、弁償できるできないに関わらず信者からに刺されるかもしれない。
 

 その以前に、今この像を割った時点で神から呪われたかもしれない。
 

 半分泣きながら苦悶していると、割れた像の中から光沢を放つ小さな物体を見つけた。
 

 像の破片が手に刺さるかもしれないという事も考えず現実から逃げるようにそれを掴み引き寄せる。
 

「何だ・・・・・・? 指輪?」
 

 それは、またも銀色で軽い指輪だった。
 

 今度はそれほど高級感のあるものじゃないが、何処か惹かれるところがある。とはいえ、持って行く気はない。全く無い。
 

 持ち主には悪いが、指輪ごと割れた像をこのまま放置してモンスターがやったことにしよう、神のみぞ知る俺の悪行も信者にばれなきゃ少なくとも刺されることも弁償させられる事もないんだ。どうせここにもモンスターがやってきて全部破壊していくんだから俺が壊したなんてわかるわけがない。ばれなきゃいいんだ、そうだそうしよう。
 

 そっと指輪を元の位置に戻し立ち上がる。
 

 すぐ横に無表情に割れた像の残骸を見下ろす女の子がいた。
 

 驚きのあまり女の子と逆方向に飛び跳ね、それが災いし、祭壇にぶつかり又も像を落としてしまった。今度は三つ同時に。今度の像が丈夫だったのかさっきの像がモロかったのか、割れると言うよりは首や腕など、細い部分が折れるだけだったということが唯一の救いである。
 

「あああああああッ!? またもや俺はあああああッ!!」
 

 とはいえ、俺には手が届かない値段だろう像を損傷させた事は間違いなく、絶叫しつつ頭を抱えるが、俺だとわからなければ大丈夫だと言う結論をさっき出したばかりだったと思い出し、少なくとも三つの像については責任の半分を担う女の子の方を見ると、俺の絶叫に何の反応もせずさっきの銀の指輪を手に取っているところだった。
 

 あんな価値の無さそうなものまで持っていくのだろうか。そりゃ、売れば少しは金になるだろうが、もっといいものはたくさんある。
 

「俺には価値観ないからわかんないけど、それって高級な物か? そんなに価値があるとは思えないんだけど」
 

 多少あの指輪の価格に興味があったのと、とにかく会話をして仲良くなり一緒に脱出させてもらおうと思い話を振ってみるが、自分でもわかるほど力の入ってない声だった。像を割ってしまったのとどうせ返事は返ってこないだろうという思い込みからだったのだろう。
 

「うん」
 

 驚いた。たぶん顔にも出てたと思う。マヌケにポカンとしか顔を見られなくて良かった。
 

 今までの経緯から全くと言っていいほど返答は期待していなかったのだが、小さくとも、指輪を懐かしそうに嬉しそうに見てこちらを気にかけていなくとも、確かに女の子は俺の言葉に反応してくれた。
 

 返事をされたらそれに続いて話を盛り上げようと心に決めていたのに、全く予想外のところで返事がきたので困惑してしまう。結局、何の応答も出来ずに次の障害が現れた。

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