この森は予想以上に大きかった。


 多分もう何時間も歩いているだろうが、全く森を抜ける気配が無い。
 

 少し前までは、遥か後方の真っ赤な空と真っ黒い煙が俺達の行くべき方向を教えてくれていたため迷う心配はなかったのだが、今じゃそれも見えない。
 

 町全体が燃え尽きるほどの時間歩き続けたのか、燃える町が見えなくなるほど遠くまで来たのか、どちらにせよこの森の壮大な広さに嫌気が差す。
 

 平地ならこのくらいの時間歩き通せるが、ここは何年も人が足を踏み入れていないような荒れた森で、大きな石が転がっていたり、木が倒れ道を塞いでいたり、深い穴もあった。それらを避けたり、ぶつかったり、イライラして蹴っ飛ばし爪先に激痛を感じたりで、既に体力の限界だ。
 

 変わらず目前で揺れる綺麗な繊細な髪の持ち主も同じような目に遭っているのだが、ペースを変える事無く歩き続けている。
 

 でも、俺の目は誤魔化せない、何の苦も感じていないように振舞っているんだろうが、実際はかなり疲労が激しいはずだ。俺にはわかる。
 

 これはきっと、ずっと女の子の後姿だけを見ていた俺にだけわかるだろう変化だ。簡潔に述べると、数時間前と女の子の髪の揺れ具合が違う。数時間前までは髪が緩やかに、少しだけ、毛先だけが揺れているような、身体の軸がしっかりとした歩きだったのに対し、今は緩やかには変わりないが、さっきより激しく髪が揺れている。疲労で身体の軸をしっかり保てなくなった証拠だ。
 

 「少し休まない?」
 

 俺が疲れ果てたのと、ほんの少しだけ女の子を気遣った事からかけた言葉を、女の子は無視して歩き続ける。
 

 この無駄に頑固な女の子を言い聞かせるのは無理だろうと諦め、何時間掛かるかわからないが森を抜けるまで休息無しで歩き続けるんだろうなと苦悶し、ならば脚の痛みを紛らわせるために何かしようと、その何かを何にしようかと熟考し始めたその時、俺の気遣いで気が抜けたのか、脚が限界を突破したのか、女の子はあからさまにふらふらとしながら近くの大岩に寄りかかった。
 

 その、実に年頃の女の子らしい可愛いい動きと、これまでこの女の子が取って来た行動言動との激しいギャップに、思わず吹き出してしまう。それを隠すために咳払いをすぐにしたが、二人っきりの静寂な森に俺の声はよく響いたらしく意味はなく、女の子に無表情に睨まれた。
 

 「いや、疲れてるならそういえばいいのに」
 

 顔の前で両手を振りながら、笑ってしまった理由を弁解するが、女の子は睨むだけ睨むと弁解には興味無さそうにそっぽを向き、その場に座り込む。俺も脚を休めるため、木を背に座り込むが、元々寒いのに加え汗で濡れた服が冷え切っており、更に寒さを増し俺の身体を凍りつかせる。歩いている時は忘れられていたこの寒さ、もしかするとずっと動いていた方がよかったのかもしれない。
 

 女の子も寒いのか、袋の中からこの女の子から見ると少し大きめな漆黒のローブを取り出すと羽織った。安っぽい布のローブではあったが、ないより何倍もマシなのだろう。
 

 俺も何か無いかと袋の中を漁る。チョコパン、ミントパン、メープルパン、バターパン、ブドウパン。パンしか出てこない。なおも探し続けると、袋の底から親指の大きさくらいまで磨り減った火打ち石と、ほんの少し残っている点火用の油が出てきた。
 

 これで焚き火を起こす事も出来るが、すぐにまた前進を再開するだろうし、焚き火は低級モンスター除けには幸いなのだが、中級以上のモンスターからすると獲物がいると言う合図であり、逆に集まってきてしまう。すぐそこに中級モンスターが迫ってきていると言うのに焚き火をするほど俺は愚かではない。
 

 でも、普段ならここで、中級モンスター以上と言う出会ってしまったらほぼ確実に死するだろう恐怖にも構わずに、焚き火をしていただろう。それは俺だけでなく全世界の庶民旅人問わず皆そうするはずだ。
 

 中級モンスター以上を呼び寄せてしまうかもしれない焚き火を、皆が然も安全な物だと言う顔をするのには、当然それなりの理由がある。実は中級以上のモンスターやモンスターの群れなどが出没した、そのモンスターがこれから移動するだろう位置を、無料ではないが予め町で確かめる事が出来るのだ。それだけでなく、突然何の情報も無い場所に現れるモンスターの位置でさえ確認出来る。
 

 真意は確かではないが、もっとも有力で誰もが予想するだろう話では、危険を承知でモンスターを監視しているというものだが、一日置きにモンスターの正確な位置を報告する手段ならいくつもあるとして、その後の行動まで予測する手段は聞いたことが無い。だが、その予告が外れた事は一度たりとも無い。
 

 そんな不思議で不気味な技術を用いて、モンスターによる人災をこの上なく下げ、世界規模にまで広がった組織の事を、そう、俺も酷くお世話になった『ラーガリア教会』と言う。俺をぼったくった、あの『教会』の事だ。
 

 そして、そのモンスターの位置を把握する力を『神の千里眼』だと言い張り、多くの信者に大量の寄付、そして壮大な権力を手に入れた。この教会が設立された日や経緯などを知っているものは少ないが、今やほぼ全ての町に『教会』が設けられ、一般市民だけでなく冒険者の安全確保、モンスターハントにも大いに役立っている。
 

 もちろん俺は『神の力』なんて信じていないし、胡散臭いとも思うが便利な事にはかわりなく、俺も町に立ち寄る際にはいつも利用している。
 

 とはいえ、単に面倒臭いだけなのか、『神の力』の限界なのか、それとも意図的にそうしているのか、世界中のモンスターの位置を把握している教会は少なく、大抵はその町から近い一部地域のモンスターの位置しか明記していないため、所々にある教会に立ち寄り、何度も寄付をしてモンスターの位置を確認しなければならないのだ。一回の寄付は大した事ないのだが、それが何度も続けばそれなりの金額になる。
 

 安全な旅を続けていたければ必ず立ち寄ることになる教会、いつの間にか寄付を食費と同様に生活に必要な最低支出として意識してしまっており、この二年で教会に寄付した金額は質素な食事なら五年分にも及ぶだろう。そんな多額の寄付をしているのは当然俺だけではなく、全世界の人間が利用しているため、教会の儲けの一日分を丸々貰えれば孫の孫の代まで遊んで暮らせる金額になる。
 

 それでも俺の寄付は安い方と言える、常に荷馬車など移動速度の速い乗り物で町を転々としている行商人は、俺の数倍の距離を移動する分、当然俺の数倍の寄付をしているだろうし、場合によっては盗賊除けに傭兵まで雇わなくてはならず、俺の単純な脳で考えるに、儲けるのはとても難しそうだ。更に生粋の信者と来たら、惜しげもなく家宝も財産も寄付し、必要とあらば娘さえ教会へ無理矢理献身させてしまう。全く持って教会のトップが羨ましい。
 

 寒さを忘れようと考え事に没頭−−−俗に言う現実逃避をしていると、不意にその視線に気づいた。
 

 「・・・・・・? 何か用?」
 

 先ほどとは打って変わり、フードの中からこちらを覗いてくる冷徹さの欠片も無い純粋な興味の目。相変わらず感情は読み取れないが、敵意はもう完全に感じられない。
 

 目を合わせるとすぐにまた何の興味も無さそうにそっぽを向き森の闇を見始める。俺もしつこく追及などはせずに、今度は俺がフードで隠れた女の子の横顔をじっと見つめる。
 

 確かに安物のコートだが、使い込んだ形跡は無く、もしかしたらさっきの町で盗んできた物なんじゃないかと疑ってしまう。何でもかんでも疑ってしまうのは俺の悪い癖だが、実際これで幾度かの窮地を乗り切ってきたため、直すに直せない。
 

 「この森広いよな、これだけ歩いても出られないなんて」
 

 次々に湧き起こる不安と疑問から適当に切り出した話題だが、これはこれで聞きたいことだったので丁度いい。少しでも女の子の声を聞いて、こんな気味の悪い森で一人じゃないと安心したい。
 

 「迷った」
 

 無表情なんだか真顔なんだかわからないが、目を見て言われたセリフに冗談の色は全く見えなかった。
 

 聞かなきゃよかった。

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