「おっきなおっきなおそらに浮かぶ〜」


 木に背を預け、空に向かい、寒さと喉の渇きから音調が外れ、所々震えている声で高らかに歌う。
 

 「き〜らき〜らおほしさま〜」
 

 この歌は子供の頃、カズラさんが寝る前に良く歌ってくれたものだ。でも、あの人はちょっとばかしバリトンボイス気味なため、とてもじゃないが綺麗な歌声とは言えなかった。だが、少なくとも今の俺よりは何倍も良かっただろう。
 

 「まっくらまっくらおそらを照らす〜」
 

 「五月蝿い」
 

 まだ二番の歌い始めだと言うのに、女の子から鋭い批評が飛んだ。暇を潰しながら身体を温めるのにそれなりの効果を発揮し、何より不安を少しでも薄れさせれくれる作用があり、今の俺にとってそれ以上の薬は無かったのだが・・・・・・考えてみると、自らモンスターを呼び寄せる行為をしていたのか。
 

 まぁ、女の子はそんな深いことまで考えず、ただ単に耳障りだったから止めたのだろうが。
 

 「で、何かこの森から出る考えがあるのか?」
 

 ほんの少し希望を期待したのだが、女の子は何を見ているのか、森の闇をただただ見据えるだけで俺の話など聞いちゃ居なかった。全く何の対策もなく会話するのが気まずいがため、わざと聞き流したのかもしれない。
 

 「ぴ〜かぴ〜かおつきほぶぁ」
 

 「五月蝿い」
 

 拳ほどの大きさの石を投げられた。
 

 同時に、夜風と同じくらい冷たい視線を一瞬向けられたが、すぐにまた闇へと視線を戻す。一体何を見ているのかを気になる所だが、今は石をぶつけられた額から流れてくる血を袖で拭い取りながら、何かこの熱い傷口を冷やすものを探すので手一杯だ。
 

 だが、当然こんな所に冷やす物なんてありはせず、使えそうなものといったら夜風に曝され続け冷え切石くらいだ。この際冷たければ石でもいい、だが傷口を冷やすとなるとそれ相応の大きさと滑らかさが必要になり、この辺にある石は全部大きすぎたり小さすぎたりしたものばかりで、たまに丁度良い石が目に入っても、それはゴツゴツしていた。そして一番丁度良い大きさと滑らかさを持った石は、俺の額を傷つけ、付着した血液を勲章とでも言いたげに天に見せ付けている憎ったらしい石くらいだ。
 

 当然、こんなヤツに俺の身をゆだねる訳も無く、立ち上がると同時に蹴っ飛ばしてやった。思いのほか遠くに飛んだ石は、女の子が見ていた闇の中へと溶け行く。
 

 「キュウ!?」
 

 「へ?」
 

 闇の中で鳴き声がした。それはとても高い声で、幼少期の女性よりも高い声で、人間から発せられたものとは到底思えない。
 

 女の子はあの闇の中に人間ではない『何か』がいることに気が付いていたんだろう。その『何か』がモンスターの可能性は極めて高く、さっきのモンスター達が追いかけてきて不意打ちを狙っていたのかもしれない。俺がやった行為はモンスターとの戦闘を早める行為にあたり、でも元々戦闘は回避し辛い事で、小さいダメージであろうと先制攻撃を仕掛けた俺は褒められるべきなのではないかだろうか?
 

 やがて闇の中でガサガサと草が揺れる音がし始めた、『何か』がこちらに向かってきている。女の子は立ち上がり杖を構え、俺も剣に手を掛ける。
 

 「キュゥゥ」
 

 「・・・・・・ん?」
 

 闇の中から姿を見せたそれは、闇に溶けいるような漆黒の小さな塊だった。四足で歩行してくるそいつは、背中に身体と同じくらい大きな翼を二つ持っており、頭には小さな角までついている。何故だか怒っているようだったが、その小動物の目に浮かぶ涙に増大させられた愛らしさの前に恐怖など抱けるはずがなかった。
 

 「可愛いなぁ、ほら、こっちおいで」
 

 剣を鞘に収めを、しゃがみこんで小動物に手を伸ばす。
 

 「なんて動物かな」
 

 特別動物が好きというわけではないが、人並み以上には愛玩する心はあると自負している。旅に出る前に住んでいた所には犬三匹に猫五匹、よくわからないムカつく鳥一匹を飼っており、それ全てを飼育させられていたとなれば、それなりに扱いにも慣れるし愛着も湧く。
 

 その頃の経験が何かしら動物に好かれるオーラを出したのか、少しずつだがその動物が近づいてくる。手元まで近づいてきたそいつのちょっとキツイ目付きも中々可愛い物だ。
 

 「ほらほら、もっとこっちにおいで」
 

 微笑みながら更に手を伸ばす、小動物もゆっくりとだが近寄って来てくれている。そして、もうあと一歩で俺の手に届くところまで来た小動物は唐突に大きな口を開けた。
 

 「ガブ」
 

 「ガ・・・・・・ブャアアア!?」
 

 その、翼と角に負けないくらい立派な牙で手首までガッチリと噛み付かれた。歯牙が突き刺さった手首が熱い、この熱さから察するにかなりの量の血が出ているんじゃないだろうか。
 

 「痛い痛い痛い! 放せ! 放せって痛いって!」
 

 小動物ごと腕を振り回すが、手から小動物が放れて行く距離より歯牙が手に食い込んでくるほうが二倍ほど早かった。
 

 「くっそ、この・・・・・・!」
 

 目に浮かぶ涙の所為で世界が揺らぐ中、出切れば使いたくなかった最終手段を使う事にした。
 

 腕を振り回しながら近くの木に寄り、大きく小動物ごと手を振り上げ、身体全体で腕を木に向かって振り下ろす。
 

 小動物のワンワンだかニャニャーだかキューキューだか、泣き喚く姿を想像すると胸が痛んだが、このままでは手が食い千切られてしまうかもしれず、仕方の無い事だと自分に言い聞かせる。だが、小動物は手が木にぶつかる瞬間に故意か偶然か、するりと手から放れていった。
 

 「へ?」
 

 手を衝撃から守るためのクッションが無くなった事へ情けない声を出した瞬間、ボキッと言う何かが折れるような音がし、手から全身へと激痛が駆け巡る。
 

 「〜〜〜!!」
 

 もう悲鳴にもならない叫びを上げ、少しでも痛みを忘れようと走り回る。
 

 「おおお折れた! 絶対折れたああああ!」
 

 涙をポロポロこぼしながら、叫喚し走り回り、多少痛みが和らいだところですぐさま女の子の後ろに逃げるように隠れた。
 

 「あいつ! あいつは危険だ! きっと、さっきの奴等の刺客だぞ!」
 

 真っ赤に腫れ上がった手を華麗な着地で傷一つ負っていない小動物の皮を被った凶悪モンスターに向けながら女の子に警告する。
 

 手首にくっきりと歯形が残っており、所々皮膚に穴が開き、血が滲んでいる。小さな小さな傷ではあるが、俺の心の傷は大きく、動物恐怖症という形で一生胸に刻まれてしまうだろう。
 

 そんな不憫な俺に哀れみの目を向けるわけでもなく、女の子はそっと凶暴なそのモンスターに近寄っていく。
 

 きっと俺の仇をとってくれるんだ、大きな氷の塊でグシャリと・・・・・・いやでも、あんな子供を殺すのか? 流石に可哀想じゃないか? せめてムチで叩くくらいで、いやいや、俺としては別にビンタ一発でもいいんだ、モンスターとは言え実力の差も見極められない子供を殺すほど俺は鬼ではない。
 

 「いや、でも殺す事ないと思うぞ、うん、よく見たらただの動物じゃないか、驚いて噛み付いてしまっただけだろうし」
 

 「キュウ・・・・・・」
 

 野生の勘とでも言うのか、小動物は女の子を睨みながら身構え、震えながら一歩一歩後退る。俺のフォローも虚しく、女の子はゆっくりと一定の歩調で小動物に近寄っていく。
 

 コレはもう、可哀想だが、小動物の命はあと数分だろうな。俺にはわかる、この異様な雰囲気を出している女の子は怒っている。短い付き合いではあるが、共に生きるか死ぬかの状況を切り抜けた仲間である俺を傷つけた小動物が許せないのだ。こうなってしまうと俺にはもうどうしようもない、さようなら小動物、せめて骨でも残れば墓くらい俺が食費を削ってでも立派なのを立ててやる。当然、削れた食費分はお前の肉で・・・・・・いや不謹慎だった。
 

 「キュ・・・・・・キュウ!」
 

 弱気だった小動物もこのままじゃただ殺されるだけだと悟ったのか、少しだけ強気に戻った。だが、たとえいくら高圧的になろうと実力に差がありすぎる。先ほど俺に噛み付いたのが全力だろうが無かろうが、せめて食いちぎるぐらいの力と度胸をみせなければ勝ち目どころか触れる事も叶わないかもしれない。
 

 「キュウ! キュウ!」
 

 「・・・・・・」
 

 小動物は大きな瞳に涙を浮かべ震えながら必死に威嚇をしているが、女の子はお構い無しに近寄り、ゆっくりと手を伸ばした。
 

 すっかり怯えきった小動物は逃げようにも脚が動かないようで、伸びてくる手を避けることも噛み付くことも出来ないようだ。
 

 手の伸びた先は小動物の頭、何故かマッチョがリンゴを片手で潰す姿を思い出した。潰れたリンゴが指の間からはみ出て、大量の果汁を手を濡らす。そんな姿を小動物に重ねてしまい、小動物の頭があーなってこーなってと想像していると吐き気と目眩が襲ってきた。
 

 直上まで迫った手に慄き、硬く目を瞑る小動物にトンッと置かれた手、ビクンと震えるその頭をマッチョ身体負けの怪力でブシャッとグシャッと、まるでパンが如くペシャンコに・・・・・・なるのだと想像していたのだが、女の子はただ軽く手を動かし、優しくそっと小動物の頭を撫でた。
 

 何か裏があるんじゃないかと疑い、底知れない恐怖に震え続ける小動物だが、やがて何を感じ取ったのかそっと目を開きジッと女の子の目を見た後、完全に恐れの消えた表情で『キュウ』と鳴きながら女の子の足に顔を擦り付けた。そんな小動物を女の子は撫で続け、仕舞いには小動物を抱きかかえた。
 

 背部からなので双方の表情はよく見えないが、キュウキュウと嬉しそうに鳴く小動物はどう考えても好意的だし、今までこんな温情な態度を一度も見せた事の無い女の子が小動物を嫌悪しているわけが無い。
 

 なんだそれは、コイツら両方とも俺の時とは態度がまるで違うじゃないか。小動物は俺の伸ばした手を何の情緒も無しに食らいつき、女の子なんて俺のことを透明人間扱いだった。別に小動物見たいに頭を撫でたり抱きついてくれとは言わないさ、ただ人間扱いしてくれればそれでよかったんだ。これじゃ何だか小動物に存在で負けている気がするじゃないか、面白くない。
 

 「なんだ、大人しいじゃないか。いきなり近づいたから驚いたのかな」
 

 思考を表情に出すことなく、あくまで友好的な態度で一人と一匹に近づいていく。女の子に抱えられ機嫌の良さそうな小動物のツルツルで冷たそうな黒い皮膚に触れようとさっきとは逆の手を手を伸ばす。
 

 「いやあ、近くで見ると更にかわい―――」
 

 「ガブ」
 

 「ガ・・・・・・ブャアアアア!?」
 

 俺の手が目前に迫ると上機嫌だった小動物がいきなり血相を変え、又もガッツリと手首まで噛み付いた。あまりの速さに何の反応もする事が出来なかった自分が情けないが、それ以上に何故か俺だけ小動物に敵視されていることが悲しくて仕方が無い。
 

 今度は女の子に抱かれているため、腕を振り回し無理矢理引っぺがすことが出来ない。とはいえ、俺がこの激痛に耐えるられるほどの修行は積んでいるわけがなく、女の子に多少負担は掛かってしまうだろうが思いっきり腕を引く。だが、小動物はさっきと打って変わって引いた手をすぐに放し、俺は勢い余ってそのまま後ろに倒れこむ。
 

 「いッたたた・・・・・・」
 

 おうとつの激しい堅い地面に打ち付けられた腰をさすり、両手首についた歯形を見つめる。クッキリと残っている歯形は何かの刺青やまじない、もしくは呪いにも見える。
 

 抱きかかえられたまま『キュウ!』と威嚇をしてくる小動物を怖いとは思わないが、もう可愛いとも思わない。男を食糧としか見ず、女にだけ媚を売る生物の何処が可愛いんだ、ただの発情期の犬じゃないか。
 

 女の子に小動物の危険性をじっくり指導してやろうと立ち上がるが、先手を打ったのか小動物が女の子に何か話しかけていた。キュウキュウとしか鳴かない小動物の言葉を分かるとは思えないが、女の子の服を咥え、自分が出てきた森の方向に引っ張ることから何をしたいのかはわかる、女の子を森の奥に連れて行きたいのだ。
 

 無駄だな、あの冷静沈着で利口な女の子がこんな奇怪で凶暴な獣に易々ついていく訳が無い。言うなれば、全身黒服にサングラスまでした怪しさ全開の中年に『欲しいもの買ってあげるからついておいで』と言われついて行くようなものである。そんな、怪しいというより、その場に居るだけで騎士団に捕まりそうな奴について行くなんてまずありえない。
 

 そう信じていた。
 

 「キュウ、キュウ! キュウキュウキュウ!」
 

 「・・・・・・」
 

 熱心に女の子を森の奥に連れて行こうとする小動物を、女の子はしばらく相手の心を探るように見つめた後、ゆっくりと森の中に歩き出した。
 

 「え!? ちょっとまった・・・・・・! 罠かもしれないんだぞ!?」
 

 「・・・・・・」
 

 特に周りを警戒している様子の無い女の子は、俺の言葉を無視し歩き続ける。心配して言っているというのに・・・・・・。
 

 ついていくのは確かに危険だが、俺一人になるのも相当に危険なのだ。もしもモンスターと遭遇したら俺一人で対処できる数には限りがあり、モンスターの群れが追いついてきたり

なんてしたら対処できるわけも無い。ならばまだ罠かもしれないというだけで、罠だと決まったわけではない小動物の先導に続く方が生存率は高い。いざとなったらこの女の子も居るし、何とかなるだろう。
 

 ガサゴソと暗がりの草叢に飲み込まれていく女の子の背中に続く、長く険しい道のりを予想していたのだが、数歩あるくだけで草叢を抜けた。

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