「?」


 そこにあったものは又も真っ黒い塊、今度はこの小動物と比べ物にならないほど巨大なモノだ。この距離からだと大きなゴツゴツとした岩のようにも見えるが、それは距離を詰めるごとにだんだんとその輪郭を露にしてきた。
 

 「・・・・・・! コイツって!?」
 

 この漆黒の塊にも頭に立派な角が、少し開いている口には立派な牙が、背中に立派な翼が生えていた。女の子と俺を一緒に丸呑み、いや、大犬をも丸呑みに出来る大きさ。木々が群がる一角に隠れるように身を伏せているこの漆黒の塊―――『角』『牙』『翼』にこの体格、これは間違い無く、
 

 「ド、ドラ・・・・・・ゴン・・・・・・ッだぁああああ!?」
 

 女の子の腕に抱えられている黒く小さい塊、コイツはやっぱり凶悪なモンスターだった。
 

 思わず大声をあげ草叢の中に飛び込み、身体を完全に隠しそっと顔だけ出して覗き見る。どうやら俺が見ていたものは、腹をこちらに向け横たわっているドラゴンらしい。
 

 背中を向けて逃げ出そうと思ったが、女の子を置いていくわけにもいかない。何せ相手はドラゴンだ、アレだけの実力を見せ付けられても、この女の子一人で対処できると思えなかった。
 

 ドラゴン・・・・・・色々と種類はあるものの、その殆どが高級モンスターの中でも更に上位に立っている。理由は単純明快・・・・・・強く、賢い事からだ。実力はその気になれば一匹で一国を滅ぼせるとも聞くが、真意は定かではない。温厚なわけではないが、よっぽどの理由が無ければドラゴンは自分の縄張りから出ないからだ。
 

 知能も他のモンスターと比ではなく、人間より高いという話も聞いた事がある。人間の言葉を理解するドラゴンを見たと言う自伝は数多く、偉い偉い生物学者さんもそれは真実だと語っている。その、強大な力と研ぎ澄まされた五感と高い知能、そして高い知能から生まれる人間に似た感情という概念から引き起こされた一つの実話がある。
 

 昔一人のモンスターハンターが賞金欲しさに親が居ないうちにドラゴンの子供を殺した、親は子供の亡骸を見つけたときにはもうモンスターハンターは姿を消していた。親は激怒し、自分の子供の匂いのする人間を探すため付近の村や町に攻め入った。いくつ村や町を壊滅させてもそのハンターは見つからない。そこでドラゴンは自分の子供の亡骸をわざと人々に見せながら村を壊していった。人々は何故ドラゴンが暴れているのか気づき、ドラゴンの子供を殺したハンターを捜し当てた。そしてハンターを縛り上げ、ドラゴンに差し出した。ハンターは見るも無惨な殺され方をしたそうだが、ドラゴンは自分の縄張りに帰っていった。
 

 この事があってから、一般のモンスターハンターは一切ドラゴンへの接触を禁止された。ドラゴン狩りが許されるのは、ギルドに認められたモンスターハンター・・・・・・ドラゴンバスターとも呼ばれる者達が五人・・・・・・場合によっては十人以上で正式な手続きを終えて、更に最低一週間の戦闘再訓練を受け、ドラゴンについての筆記試験を受けなければならない。馬鹿げていると思ったが、この制度が適応されてからドラゴンによる大量無差別虐殺は一切無くなっている以上、その効果を認めざるおえない。
 

 ちなみにこの条約を破ったものはギルドの立ち入りを今後一切禁止され、更に十年は暗く冷たい牢屋の中である。昔話のようにドラゴンを怒らせでもしたら死刑確定だ。
 

 最強の生物としてこの世界に君臨してもおかしくないドラゴンに唯一欠点があるとするならば、それは群れない事だ。言葉を理解し、コミニュケーションが取れるにも関わらず大抵のドラゴンの一切群れない。群れないがため、一部地域を我が物にするだけで満足しているようで人間の地域にわざわざ攻めては来ない。だが、自分の縄張りから出ない事で、他のドラゴンと出会うことが無く生殖活動が行えず数を減らしているそうだ。長寿であるため本当に少しずつだが・・・・・・。
 

 そんなドラゴンが居る場所に俺達を誘い出したこのちっさい黒い塊が敵じゃないわけが無い。いや、この小さいのもドラゴンなんじゃないのか? そうだ、こいつもドラゴンだ、『角』『牙』『翼』とよく見れば特徴全てがついているじゃないか。何で気がつかなかったんだ。そういえば、遭遇した時だって腹が減っていたのか、いきなり指を食いちぎろうとしてきたんだった。
 

 「まずいって! はやく逃げないと!」
 

 立ち尽くす女の子に音量を抑えて叫ぶが、女の子は振り返りもしない。恐怖に足が震えている様でも無さそうだ、立ったまま気絶しているんじゃないだろうな。
 

 恐らく数十秒、鳥や風すらも静寂に手を貸し、ひんやりと静まり返った空気の中、いつまで経っても動き出さない女の子を抱きかかえて逃げようかと思ったその時、女の子はゆっくりと巨大なドラゴンに向かって歩きを始めた。
 

 「待った待った待った! そいつが何だかわかってるのか!?」
 

 必死に言葉だけで女の子を止めようとするが、女の子は歩みを止めない。ドラゴンに立ち向かうだけでも常軌を逸していると言える行動なのに、あろう事か女の子はドラゴンにそっと触れた。
 

 ああ、死んだな。これは死んだ。女の子だけでなく、きっと俺まで殺される。パクパクムシャムシャされるんだ。いや、もしかすると丸呑みされるのかもしれない。丸呑みされた場合、胃の中でしばらくは生存できるんだろうか。出来たなら、胃液で完全に溶かされるまでずっと身体が溶けていく痛みを味合わなくてはならないのか? ならいっそ噛み殺してくれたほうがいい。
 

 きっと俺の言葉はもう女の子には届かないだろう。今まで一度でも届いた事があるかどうかも不明だが、仕方なくビクビクしながら諦観する事を決めた。
 

 「・・・・・・」
 

 スリスリ。トントン。ペチペチ。
 

 このドラゴンは鈍いのか、女の子が身体を撫でようと軽く叩いてみようと平手でいざと言う時のビンタの練習をしようと起き上がる様子が無い。これなら逃げれるんじゃ無いかと希望が生まれた時、
 

 「・・・・・・死んでる」
 

 無感情に女の子は言った。
 

 死んでいる? ドラゴンが?
 

 先ほど説明したようにドラゴンは、そりゃもう途轍もなく強い。それが目の前に居るだけでも信じられないと言うのに、そのドラゴンの死体となれば尚更信じられない。いや、信じたくない。
 

 「ほ、ホントに死んでるんだろうな・・・・・・?」
 

 恐る恐る草叢から這い出て、俺もそっとドラゴンの身体に触れてみる。とても冷たく硬い皮膚、熱を持っていないのは生きていても死んでいても同じなのだろう。スベスベでありながらもボツボツとしたオウトツを持っている皮膚をいくら撫でようとドラゴンは目を覚まさなかった、本当に死んでいるようだ。
 

 「でも、何で・・・・・・?」
 

 寿命。そうであればいいのだが、その可能性は低い。短くとも数百年、長ければ数万年も生きると言われるドラゴンの死期に立ち会えるなんてまずありえない。こんな荒んだ森ならば、死後三日もすれば肉食動物やモンスターが集り、その肉を残らず食い尽くしているはずだからだ。たとえモンスターの生息していない森だとしても、三日もすればある程度腐敗しているはずだ。
 

 死因を確かめようと立ち上がりドラゴンの周りを歩いてみる。硬い皮膚の所々に多数の切り傷があり、そこからすっかり固まった血が見える。だが、これだけで致死量の血を流したとは考えられなかった。
 

 「あー、これか」
 

 ドラゴンの背後にまわった時、謎だった死因がわかった。やはり寿命などではなく、背中を大きく深く斬られていたのだ。
 

 傷口から滝のように垂れていただろう血液が背中を赤黒く染めており、それはまだ粘り気が残っていた。地面に出来ている血溜まりがまだ乾いていない事から、やはり死後数日立っているわけではなく、少し前に殺されたものだと推測できる。
 

 まずい。
 

 これはまずい状況だ。
 

 「なぁ、早く森を抜けないか? ココに居ても良いことなんて無いと思うぞ」
 

 女の子の元へと戻ると同時に声をかける。表情にも出ていたかもしれないが、俺は一刻も早くここから立ち去りたかった。
 

 「キュウ・・・・・・キュウ・・・・・・」
 

 答えたのは女の子では無く小動物―――チビドラゴンとでも呼ぼう―――チビドラゴンだった。
 

 悲しそうな、今にも泣きだしそうな鳴き声をあげるチビドラゴンをただ抱いて、女の子はドラゴンの亡骸を見つめていた。
 

 チビドラゴンが女の子の腕から飛び降りドラゴンの腹部まで行くと、小さな傷口をそっと舐めた。何の反応も無いドラゴンにチビドラゴンはまた悲しそうな鳴き声をあげ、そっと女の子に向き直る。
 

 何となくだがわかった。このドラゴンはチビドラゴンの親か兄弟なのだろう。恐らく、チビドラゴンはドラゴンが死んだ事に気が付いていない。女の子をここに連れてきたのは、ドラゴンを起こすのを手伝ってもらうためなのだろう。あるいは、死んでいるのに気が付いているが、女の子なら何とかできるんじゃないかと言う無茶な希望を抱いているのかもしれない。
 

 見ているこっちが居た堪れない光景。
 

 次の行動に困っているのか、それともチビドラゴンが何をしようとも興味が無いのか、女の子は動かない。
 

 ここは全て女の子に任せよう、俺が手出し口出しすると碌な事にならないのは、過去の出来事から目に見えている。
 

 「キュウ・・・・・・キュウ・・・・・・」
 

 女の子に向かって再度鳴くチビドラゴン。女の子はやはり動かない。この状態はいつまで続くのだろうと思った刹那、女の子がやっと動きを見せた。
 

 ゆっくり、ゆっくりと俺を見たのだ。その眼差しは俺に『何とかしろ』と訴えてかけている。そして、女の子がこっちに視線を向けた後、その視線を追う様にチビドラゴンも潤んだ瞳を俺に向けた。
 

 これはもう、最悪なパターンと言っていい。

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